自己責任

 殺害された人質の写真のリンクに、「ショッキングな画像、自己責任~」という注意書きであった。「事故責任」って言葉、こういう事件が起きるといつも上がってくる単語である。
 捕まった二人に対し、自己責任論を唱える人が案外多いらしい。たしかにわからないでもない。自分からすすんで危ない場所に入って捕まったわけだから、その通りである。ただ、この「事故責任」という言葉には民意の総意という、ちょっとした気持ち悪い連帯感があるような気がして仕方ない。皆がそう思っているから、とか、皆で言えば怖くないとか、皆と同じだから間違ってはいない、という、いつも起きるアレである。
 12月頃にアメリカが、同じく人質にされていたジャーナリストを救出するため、シールズを出したのに失敗したことがあったよね。あの時は人質も殺されて最悪の結果に終わったけど、今思えばアメリカってハッキリしているよね。交渉せずに問答無用で取り返しに行くその思考?そこに自己責任という考えはないのか?ということも気になる。「国民を取り戻しにいく」という姿勢にはある種の正義と正しさを感じるけど、日本もそれをすれば良いのか?、って言われると「うーん・・」となってしまう・・。国家と国民、国民同士の関係、何が正しいのやら。

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