ダイバーシティ

 アマゾンプライムで「ウォーキングデッド」のシーズン7を見ていて気付いたんだけど、登場人物の人種の多様性が目立つ構成になっているよね。アングロサクソン白人も黒人もラテン系も、東洋系もいる。新しいキャラが出てきたり、死んだりするから入れ替わりはあるんだけど、割と常に人種が混ざっている構成になっている。「ワイルドスピード」シリーズも同じように、かなり人種に多様性を持たせている。ただの走り屋の話だった頃から、国際的な問題解決軍団になっていく後半までも常に色んな人種の登場人物を描いている。もしかして両シリーズとも人気があるのはこれが関係あるのかなあ、なんて思ったり、でもアメリカはこれが普通なんだろうな、とふと思ったりしていた。その時思い出したのが、トランプの「アメリカファースト」って決めセリフである。あの「アメリカ」にはマイノリティの人たちは含まれているのだろうか。トランプの言葉を聞いて、アメリカに住むマイノリティはどう感じるのだろう。あの言葉には自分たちは含まれていない、そもそも入れてほしくない、と思っている人が多いのかな。片方では多様性が求められ、それに引き付けられる人がいる一方で、差別まではいかないけど限りなく排他的な側面もあって、どっちがメインストリームなにかが非常に気になる。

どうしようもなく個性的

 子供ってとにかく個性的なんだよね。まあ、先生と先生の友達の数人しかみていないけど、どの子にもその子だけどの特徴がって、皆それぞれ全く違うから面白い。
多様性みたいなものを感じてほしくて今の学校に行かせているんだけど、わざわざそんな事をしなくてもそもそも皆違うのか!と思うことももある。まあ、もちろん、多様性はそれだけじゃないんだけどね。
 で、逆に親であるこっちの方が独自性を保つのが大変だったりする。同じクラスの子がやっている習い事だったり、持っているものだったり、出来ること・出来ないことがあって、どうしてもそこに比較みたいなものが発生する。なので、自分たちとは違う評価基準がどうしても入ってきて、何かを決めるときに否が応でも影響されているように感じる。いつのまにかこっちが同じになっていたりするんだよね。それに引き換え、子供本人は何にも影響されることなく、自由に気まぐれに気持ちで動いたりする。それが自然なのかな。羨ましい。

通行止め

 良く通る道が通行止めになった。14時ちょっと前から、普段は誰もたっていない所に警察官が二人立っていて、皇居周りで良く見る道路を通行止めにする器具を手に待機していた。平行に走っている道にも同じようにペアで警察官が配置されていて、これもやはり同じようにその器具を手に、時間が過ぎるのを待っていたようだ。ある時間になったら、その道具を使って一帯の車の往来を止めるのか、迷惑だなあ、なんて思ったけど無事に時間帯がぶつからずに済んだ。後から調べたら今日は千葉駅に志位建夫が来ることになっていたので、おそらくその警備だったのだろう。来るのはいいし選挙で金をつかうのも仕方がないと思うんだけど、市民の生活に迷惑をかけるのはどうなんだ?と思ってしまった。
 まあ、それはいいんだけど、もっとどうにかならないものか、と思うのはあの時間に演説されても聞けるのはジジババだけって所だよね。日本を背負っていて、一票がもっとも重い層はまさに一番忙しい時間。一番大事な層に向けてネットで演説を公開するとか、そういうことは出来ないのかね。変な話、ジジババが求めるものと若者が求めるものは真逆なんだから、ジジババばかりに訴えるのはあまり健康的とは思えない。まあ、朝やられても迷惑だし、帰宅時間にやられてもめいわくだけどね・・。案外難しいな、こういうの。

ネイマールの騒動

 ネイマールがバルサ入りした時、誰もが「メッシと上手くいくのか?」が一番の話題であった。一つのチームに頭が二人共存出来るのか?と。それもアルゼンチンとブラジルという、ライバル同士の、それもエース選手同士である。ネイマールのトラブルメーカー的な印象はずっとあったし、それがメッシ王国に乗り込むわけだから火花が散らない訳がない!と期待していたものである。それが意外や意外に上手く打ち解けたどころか、スアレスを加えてサッカー史上における3トップを結成するところまで至った。時折放送される、3人が仲良さそうにじゃれ合う姿を見て
「やっぱりアスリートもトップレベルになると精神的に大人なんだな」
と思ってきたけど、今回のカバーニとの騒動を受けて「時と場合によるか」と納得である笑。その方が「らしい」というか、あれだけの選手なんだから、たとえそこにキングがいたとしても自分が一番になろうとするのは自然なことだと思うんだよね。メッシと共存するネイマールより、「ネイマールのチーム」の方が重しそうな気もするしね。

この世界の片隅に

夏になると日テレで必ず放送される「蛍の墓」が嫌いな僕である。何度か見ているけど、そのたびに嫌な気分になることもあって、もう何年も見ていない。が、僕の思いとは別に、この映画は夏の風物詩になり決まって放送されている。あの時期にこういった題材を流すのはいい面もあるんだろうけど、それにしてもずっと同じ映画を流すのは芸がないんじゃないか?そろそろ次の作品があるんじゃないか?と思っていた所にこの「この世界~」を知った。「この世界~」はクラウドファンディングで作られた映画であり、テレビ局主導ではない。そのため、どこかのチャンネルが流したいのであれば放映料を払えばいいだけのこと。この先に4チャン「蛍の墓」、違うチャンネルで「この世界~」が同時に放映されることがあるかも知れない。

そうなったらいいなあ、なんて思いながら「この世界~」を鑑賞したんだけど、完全に僕が甘かった・・・。「この世界~」はたしかに最高に面白く最高に可愛らしい作品なんだけど、同時に残酷であり見ていてつらい作品でもある。

戦時中の人々の生活を描いているという説明が多いよね。たしかに当時の生活は大変。水は汲んでこないといけないし、料理を作る時は火を起こすことから始まる。火の強さも薪の量で調整しないといけない。洗濯はもちろん、手作業。服を作ることだってすべて自分でやるのだ。もう、生きているだけで忙しいんだよね。それが丁寧に描かれていく。そして綿密に想像させられるからこそ、当時の人立が「なにを失ったか」がこっちも良く想像でき、それがとてもつらい・・。僕は今まで本当にたくさんの映画を見てきたけど、二回目の視聴がおっくうだったのはそう何回もない。

馬鹿みたいだけど、見終わってから二回ともすぐに息子の寝顔を見に行ってしまった。寝息を確認して(笑)、本当に「少なくともこいつが生きている間は平和であって欲しい」と思った。具体的なことはなくとも、きな臭い空気が流れている今である。その空気が日常を脅かさないことを切に願う。この映画を見ると感じるけど、変化ってちょっとずつ来て突然始まるんだよね・・。

停電

久しぶりに停電を経験する。自宅だけでなく、広範囲が一時的に停電していた。ちょうど子供が寝そうになっていたから動けなかったけど、時間にして1-2分もなかったと思う。たったその長さの停電だったけど普段体験していないものだからちょっと非日常を感じた。原因は分からないし、調べようもないんだけどたったそれだけの時間で電気が復旧する日本はすごいな、と。電気がないとどうにも動かない家の中だけど、こういう時のスマホは便利だ。電池がある間はねキャンプ用品のランプとかもあるけど、出せる速さや使いやすさが違う。闇を照らしながら停電の原因や情報を集められるし。防災道具にバッテリーが必須になるかも知れない。

英雄譚

この前「ダンケルク」を鑑賞した。こういう、オラが国の国民は皆、国のために戦った、的な映画っていいよね。このダンケルクの場合は一般人自分の船に兵士を乗せて逃した実話だから、それを思うとイギリス人じゃないこっちも胸が熱くなってくるんだよね。

見終わって思ったのは、なんで第二次の時の日本軍の英雄譚はないのだろうか、ということ。硫黄島とか、沖縄の戦いでの日本軍を称える映画ってあるのはあるんだけど、どれもハリウッド作品である。日本人が描いた、戦争の英雄譚はないのか。僕が知らないだけでもしかしたらあるのかも知れないけどね。

まあ、単純に言うと作りにくいのだろう。そういう映画を作ることは戦争を肯定することになる!日本の軍事化につながる!という事を突っ込む人たちがいるのだろう。一種のタブーなのかも知れない。が、これを観たイギリス人の高揚感や誇りを感じる、その気持ちを想像するととても羨ましくなる・・。。

このダンケルクも戦争の映画でありながら、実は戦いの場面はほとんどなく、ひたすら逃げ惑う映画である。敵の顔もほぼ映らない。そしてハッキリと生き延びることが大事であることをうたっている。こういうやりかななりありだと思うけど、やっぱり難しいかな。

同じぐらいに怖い

ここの所続いている北朝鮮系のニュース。あのJアラートに対する反応もあって、北朝鮮は怖い、日本は今危ない状態にあるから怖い、というイメージになっていることにちょっとした違和感を感じている。そりゃあ人の頭の上をミサイルを飛ばす奴らなんだから怖いのは当たり前だけど、同じようにアメリカも中国もロシアも怖いよ、といつも思うんだよね。どっちかというとアメリカやロシアや中国の方が持っている核の数もミサイルの個数も多いし、打つ技術も高いし、揃いも揃ってトップが頭がちょっとアレな人たちなんだから、恐怖の度合い的には同じじゃないか?と思うんだよね。北朝鮮の脅威を理由にきっとアメリカは武器を韓国と日本とかに売っているだろうし、この状況をプラスに取って儲けているだろう。そうなるとどこが一番怖いのかが良くわからなかくなってくる。ロシアには領土取られていて、中国には土地を買われ、アメリカにはずっと属国扱いされているんだから、これと「空中にミサイルを飛ばされる」と並べてどっちが嫌かと言われたら、正直う~ん、と悩んでしまう。ってことを考えると危ない状態はずっとずっと続いていたのか、ってことになってくる。まあ、北朝鮮の一番怖いのは「理由」があるって所だよね・・。どうなる、日本。

 

ダブルスタンダード

 暴力団関係のニュースが何となくそれっぽく演出されているような気がするのは僕だけかな。Vシネチックというか、昔の任侠映画っぽくというか。組長が強面な男たちに囲われながら移動する映像をあちこちで見たけど、どれも少し演出がかっている気がする。実社会の中では暴力団をとことん排除し、暴力団と付き合いを持つ人たちをも排除する世の中だけど、ニュースでの扱いはそれとはまったく違う、まるでとても大きいニュースのように扱われていることにちょっとした違和感を感じる。その存在と影響力を認め、そして人々の関心が大きいことを何となく示唆しているのかなあ。あのニュースでCMを跨いだり、一番いい時間で放送するということは単純に視聴率が取れるってことだろうから、みんな潜在的には興味深々なのかな。片方ではないものかのように扱い、もう片方では重要な何かかのように扱われる。不思議だ。

画質

 今日の体育館で蹴る前に数人で座って談笑していたら、昔のサッカー選手の話題になった。昔の選手と今の選手がどうだとか、昔のJリーグはどうだとか、という話題である。世代ごとに好きな選手がいて、好きなチームがあって、サッカーって長い歴史があるよな、なんて思った。
 いつも思うんだけど、一つ残念なことは、昔の選手の映像を見る時の画質がとんでもなく悪い、というのがあるよね。今の選手はもちろん、いい画質でゴールシーンやスーパープレイを見ることが出来るんだけど、昔の選手となると、なんだか丸いものが小さな白い丸いものを追いかけたり蹴ったりしているんだよね。それこそ白黒の記録映像となるとボールの0行く末を追いかけるだけで精一杯で、選手の動きや表情は全く見ることが出来ない。これって、すごく勿体ないよね・・。そのうち8Kや16Kが当たり前の世界になったら、ペレがどれだけすごかったとか、マラドーナの5人抜きを見る人はきっと少なくなるだろう。まあ、こんな事を言ったらカメラすらない時代の選手たちもいたわけで、仕方のない事なんだけどね。ただ、不思議なのは自分がリアルタイムで見た映像って頭の中では4kだったりするんだよね。見たのはもちろん古いブラウン管なんだけど、なぜかすごく鮮明に見えてた気がする。不思議だ。