RUN

今日も走る。足の状態もよくなり、体力もついたのか、同じコースをずっといいペースで走ることができた。さほど疲労も感じず、適度ないい運動になっている。走り出すときの一歩目の憂鬱さ(笑い)に変化はないが、走っている途中の空気の吸い方やフォームに確実に違いが出ているのが面白い。走るための効率的で楽なフォームを探っているうちにたどり着いたやり方があって、それに気づいてから意識してやるようにしている。科学的、スポーツ的に見て正解かどうかは不明だが、経験値から生まれたものだから、正解だと信じたい。
 
それにしても、体というのはいつまで鍛えられるものなのだろうか。治癒力や回復力は年々劣っているように感じるが、心肺機能や筋力はまだいける気がする。厳密な意味ではこちらも下降しているのだろうが、いっきにグンと落ちることはない。あんまり考えても仕方のないことだろうが、今日の全てが明日の体を作っていることは確実。心底飽きるまで走るか。

景観

IMG_0099 厳島神社を背にして、この鳥居に目をやると必ず目に入ってくるのは対岸の山の中腹にある立派な建物である。鳥居を写真に撮ろうとすると必ずその建物が入ってしまう。角度を変えて鳥居でその建物を隠そうにも、すごく大きいものだから上手く隠せなかったりする。

 広島に行って新鮮だったのは風景で、海があってそのすぐ後ろに山がある景観。関東でこういった風景はないからすごく不思議に思えたのだ。なんか、ブラジルみたいだなあ(行ったことないけど)と思ったりしたんだけど、必ずその建物が目に入るものだから、なんとなく邪魔に思えてきた。妙に派手な作りで、目立つしね。それがずっと気になって、フェリーの係りの人にきいたところ「多分ですけど、宗教か何かの建物ですよ」という答えであった。なんだか予想通りの答えで、やっぱりか、いう感じであった。宗教団体にとってきっと、厳島神社の対岸に自団体の施設があることに大きな意味があるに違いない。調べてみたら、宗教団体が作った美術館で、スペースシャトルの形を模した建物なんだそうだ。なんだかなー、って思ったけど誰が悪いわけでもない、でもなんだか釈然としない、そんな風景だ。

音楽あれこれ

 今日TVでsuperflyの「愛を込めて花束を」を歌っているフランス人がいて、聞き入ってしまった。この曲はイソが結婚式で使ったため、反射的にウルウルしてくる困った曲である。バッチリ記憶に張り付いているというか、脳のシワに刻まれているというか、もうパブロフの犬状態である。音楽が持つ不思議な力の一つだよね。
ウタダヒカルのお母さんの自殺で持ちきりである。セレブリティの悲劇、精神的な疾患、不仲、似た境遇の母娘。ワイドショーが飛びつくネタ満載なんだけど、自殺という事実を前にさすがに突っ込めない感がある。ウタダヒカルがいくら特別な存在であっても悲劇であることに変わりはなく、なんとも痛ましい事件である。死に方に良し悪しがあるなかどうか分からないけど、望まれるような亡くなり方ではないことだけはハッキリしているよね。
 伝えられている限りでは家族関係も難しい状態にあったことをきいて、ウタダヒカルがあんなに早熟であることに合点がいった。きっと誰よりも早く大人にならざるを得なかったのだろうなあ、と感じた。あの早熟天才っぷりそこから来ていたのか!って感じである。ここでも何度か書いたように、僕はウタダの数曲の歌詞が好きなんだけど、好きな理由は常に「影」が感じられるからなんだよね。あまりにも早く売れてしまったこと、特化して偏ってしまって平均を知らないこと、孤高の存在であるが故の孤独。想像だから正解かは分からないけど、そう感じたんだよね。暗いとまでは行かないけど、だからといって幸福ではない、そんな空気。
 早熟の天才の末路といえばいい先例が浮かばないけど、なんとか克服して今後も活躍してほしい。

疲労

 最近、蹴った後に嫌に疲れるなあ、復帰したてだし体力がまだ戻らないのかな、なんて思っていたけど良く考えたら最近は蹴る前に最低でも3キロは走っているので、疲れて当たり前か。今日も幕張で蹴らしてもらったけど、4キロ走ってから行ってみた。次の日に絶対にふくらはぎに来るけど、体力づくりにもなるし、アップとしても効果がある気がする。
 でもまあ、やっぱり体の強さというか、体力が一番土台にあるのだろうな、とは思うよね。この歳になると「走れない」というのは一番の見せられない部分だから、ここに関しては出きるだけ抗いたいなあ、と思う。まあ、正直だた単に走ることは決して好きじゃない。おそらく世の中の多くの人もそうだと思うけど、もう少しボールを追いかけられる事を願ってがんばってみるか。

YOUは何しに日本へ?って番組があって、何の縁かかなりの確立で見れているんだけど、これが面白い。日本に来たばかりの外国人を捕まえてインタビューをして、面白そうな人がいたら密着取材をする番組なんだけど、日本に来る外国人たちが様々で、いちいち興味深いのだ。

今日紹介されていたのは、大阪から東京まで徒歩で旅をするイギリス人であった。彼が道中であった人たちとの触れ合いや、見た景色を紹介していたんだけど、彼が始めて富士山を目にしたときの表情がすごく印象深くて、なんていうか、初回だけが持つマジックとでもいうべき何かに包まれていて、感動的だった。

旅に憧れる時期って誰にでもあるよね。知らない世界を見たいし、非日常間にも惹かれるし、深夜特急を読んだりした後は飛び出さなければ!とも思えたりする。でも、ここで行動に移す人と移せない人、まるで違う人種のように感じたりする。金、時間、仕事。出れない人は出れない理由を考えてしまい、出る人は金と時間と仕事をどうすれば旅に出れるかを考える。僕は残念ながら前者なのだが、少ない旅の経験でもやはり外に出てよかったと思ったりする。でも、日常を捨てて旅に出る勇気はさすがにないよね・・。

たまあに見るブログで、チャリで世界中を回っている人のがあるんだけど、羨ましいなあと思うのとともに、別世界の話だなと思ったりする。おそらく文字で読んだり、憧れをもって遠くから見るのが一番なのかなと・・・。その人は行く国々で、コーラやファンタなどのドリンクを紹介しているんだけど、それだけは本当に羨ましいと思う。 

長い。

本日から本格的に復活しました。24時間マラソンの距離も長いだろうけど、今日までの僕の半年間も長かった。最初の頃はハッキリとは覚えていないけど、普段の生活に支障がなくなってからのヤキモキ感と言ったら・・、もう言葉に出来ないぐらいである笑。特に、出来そうで出来ない、無理をすれば出来るけどやらない方がいい、という時間がほとんどで、これが一番つらかった。まあ、100%というわけには行かないけど、心のある部分は今日で救われた。しかしデキはイマイチ。これからだ!

小さな体で

最高の野球青春映画である「がんばれ!ベアーズ」に、体格の小さな選手がより一層体を縮めてフォアボールをもらうシーンがある。その時の相手方のピッチャーは「そんなんじゃストライク入らないよ!」という表情はあっても、「それは卑怯だ!」という表情はない。

僕の認識では体格の小さな選手が体を丸めてストライクゾーンを小さくしてフォアボールを狙うのは常套手段で、チバ選手はそれだけではなくカットしているんだよね。あれだけ当てるのはハッキリいってすごい難しい上、その役割に徹する勇気と意思も必要である。高野連から物言いが入ったらしいけど、どうせ本音は
「試合の時間が延びるからやめてくれ」
であるに違いない。そもそもあの体で花巻のレギュラーなんだよね。もう普通に野球が上手い、ってレベルじゃない。

でも、そう思うと、玉を強く叩いて強いゴロを打って、足を活かして出塁するようなバッティングも目指せるんじゃないか、と言われても仕方がないのも事実。競合チームの中で生き残るための手段だったのかなあ。どっちにしろ、なんとなく後味の悪いニュースになってしまった。

馬鹿にインターネット

若者が馬鹿なことをしてそれを写真にとって、ツイッターにあげるという一連の騒動って、案外面白い話題である。風化してしまいそうだけど出来ればもう少し追いかけたい話題だよね。10代の男が馬鹿なのは、疑いようのない真実である。それは昔も今も同じ。ツイッターがなかった頃の10代の男たちもきっと同じ様なことをしていたと思うけど、運がいいのか悪いのか、現代では世界中に自分の行動を発信し、永遠に記録されるツールがある。今までは知り合いや友達のところで止まっていた話題が大きく広がってしまい、自分がコントロールできる外側にまでその影響は及んでしまう。

という事を考えていたら、実はもっと単純でシンプルなことで「馬鹿のところまでインターネットが浸透しただけのことか・・」という気がしてきた。特に、物心がついた頃にはインターネットがすでにそこにあった世代には、なんの敷居もない日常の延長のものであり、想像する異常に軽い価値観なのかもしれない。このニュースが面白いのはここで、
「大人にとっては大問題」、「若い人にはどうでもいいこと」
というこの価値観の違いだよね。こっちのほうが大きなニュースであり、問題になるべき話題だと思うんだよね。

心はいつまでも初心者

@11さんに付き添われ、@25も出没しているという初心者スクールに参加する。フットサル暦から言うとオメーが初心者かよ、なんて突っ込まれても仕方がないのだが、最初の基礎メニューもちゃんと満足に出来ないしまつ笑。もう、途中から吹っ切れました。

一人面白い人がいて、それこそイノシシのように毎回猛ダッシュでボールを取りに行くんだよね。ちょっとボールが扱える人だと毎回あっさりとかわされるんだけど、それでもまた猛ダッシュでまたボールを追いかけたりする。カウンターとなれば、ありったけの力で走りだしてボールを受けようとするんだよね。時間が経つとさすがにちょっとずつ衰えてくるんだけど、それでも最後の時間まで走りまくっていた。口で大きく息をしながらも走ろうとするその人の姿に、とても大事な何かを見た気がしたよ。走りますね~、って声をかけたら「もう限界です!」って楽しいそうに言っていて、すごく印象的だった。

県リーグだとか、いっぱい練習をするだとか、上達してきているとか、勝ったり負けたりの前にもっと大事なものがあって、しかもそれって基礎の基礎なんだよね。別に見失っているつもりはないけど、俺ら全員あの人に負けているんじゃないか?とちょっと思った。ボールを扱う基礎は出来なくても、フットサルをやりたいと思った気持ちの基礎だけは大事にしないと駄目でしょ。それこそがすべての土台なんだから。

思わぬところで大切なことを感じ、再確認した時間であった。

世界にひとつのプレイブック

期待して観たんだけど、期待どうりの出来で大満足な一本。

妻に浮気をされ、躁鬱病で八ヶ月間精神科に入院をした主人公。退院してもなお未練タラタラで復縁を願っているんだけど、接近禁止令まで出されている始末。復縁に希望を感じているのは本人だけで、周りは可能性がないこと知っている。入院前は教師だったんだけど、もちろんクビにされ現在は無職。
もう一人の主人公は、事故で夫を亡くした女性。そのショックで精神のバランスを崩し、勤務先の男全員(女も)とヤリまくりクビになり、それが噂になり家に変な男たちが訪ねてくる始末。しかも実家。そんな二人が出会い、ダンスを通じて立ち直ろうとする物語である。
精神的に危ない二人だから、色んな意味でも怖い映画なんだけど、実は彼らをとりまく町もひたすら冷たく、家族も「正常」とは言えない状態なのだ。フットボールファンであり、ゲンかつぎを異常に信望している彼の父は無職でノミやを始めていて、しかもけんかで人を殴ってスタジアムは立ち入り禁止。レストランの開業を目論んでいるが、せっかくの金を賭けに使ってしまう。二人を引き合わせる親友夫婦も仮面夫婦で、親友は仕事のプレッシャーで今にもキレそう。
そのため、二人は自然に引き合うんだけど、彼には浮気をした妻しか目に入っていない。ダンス大会に出場したい彼女は彼の気を引くために、「元妻に手紙を渡してあげる」などと餌を撒き彼を繋ぎとめようとする・・。

最終的には二人は大きな賭けを託され、ダンスの大会に出場する。そこで練習していた大技を繰り出すんだけど、見事に失敗してしまう。この「失敗」こそがこの映画のテーマなんだよね。二人はそれぞれの生活の中で失敗をし、レールから外れている状態で、なんとか軌道修正しようと必死である。つまり、失敗から立ち直ろうとしているんだよね。

この映画を撮った監督は前にすごい面白い「スリー・キングス」という映画を撮って、未来の大監督!なんて言われていたけど、出演者とモメまくり干された過去がある。つまり、この監督もこの映画で失敗から立ち直ろうとしているのだ。

最後にどうなるかは見てのお楽しみだけど、実はとてもオーソドックスな作りで分かりやすいハッピーエンディングになっている。人は失敗から学び克服し、自分たちなりの何かを手に入れる。必見です。