全国子供相談電話

 たまにラジオでこの子供相談室を聞くんだけど、いちいち面白い。
「空はなぜ青いの?」とか「宇宙って何?」とか、子供らしい可愛い悩みもあるけど、時々「お父さんが酔うとお母さんを叩く」とか「不良の兄が僕を叩く」というおっさんの僕でも受け止められない悩みもあり、温度の高低さにドキドキする。子供は子供で楽じゃないな、なんて思いながら聞いている。時々話題を決めて子供同士で話し合わせることもあるんだけど、それぞれに考え方が違うのも面白い。体罰の是非が問題になったときに「体罰は必要か?」という話題での話し合いがあったんだけど、必要だという子供もいたり、やはり要らないという子供もいた。面白いのは話し合っているうちに意見を変えたり、より具体的に自分の意見を磨く子供もいるんだよね。色々考えたり、人の意見と自分の意見を比較しているうちに子供というのは成長しちゃうんだよね・・。もちろん、正解がないから最後まで確定した答えはでないんだけど、そこには話し初めた時とは明らかに違う子供の声があるのだ。子供というのは不思議だなあ。自分にもこの子供達と同じ頃があったと思うけど、ぜんぜん思い出せないや。

衝撃映像

気球が落下する映像を見て、不謹慎ながら「呆気ないな」と思ってしまった。いいのか悪いのかわからないけど、今ではもっとえげつない映像が氾濫していることもあって「慣れ」があるに違いない。それどころか、
「映像があったんだ!」
と驚きもしないもんね。どんな事件だろうと何処かにカメラがあって、少し待てば鮮明な映像が見れるのは普通、ぐらいに思っているのかも知れない。でもこの映像は良くテレビで使われる「衝撃映像!」のような目を引くための形容詞ではなく、本当に起きたことなんだよね・・。この現実感のなさはどこから来るのか。
 やっぱり9.11の映像があまりにも強すぎたのかな。飛行機がビルに突っ込む映像、人々が飛び降りる映像、建物がバターのように崩れていくあの映像。アレ以降では世の中における、(少なくとも僕の中では)「衝撃」の基準値が変わったのだろう。映画もゲームも、全ての映像が塗り替えられ、「現実のほうがすごい」となった瞬間だった。今後この基準がより上に上がらないことを願うばかりだな・・。

気球の事故

 中島らもの小説「ガダラの豚」に、気球の事故で娘を失った夫婦の話が出てくる。不幸なこの事故は最後まで夫婦の精神面に影を落とし、彼らを追い詰めたりする。舞台こそエジプトではないが同じアフリカ大陸であり、このニュースを知ったときにすぐにこの小説のことを思い出した。
 ニュースを見た感じでは、どこが最終的な責任を持つのかが決まっていないようだ。保険もあるし、同意書にサインももらっているみたいだけど、きっとこれから生臭い話が進むのだろう・・。とにかく、遠い異国でなくなった方々の無念の気持ちは想像も出来ない。上空で燃え立って話だから、上は火事、下は飛び降りれない、どっちにしろ墜落、という状態だったのだろうか・・。それにしても熱気球って案外人数が乗るんだなあ。

テッド ted

ted-movie-poster-2012-1010750719テッド
監督 セス・マクファーレン
出演 マーク・ウォールバーグ、ミラ・クニス、マット・ウォルシュ

ご存知TVでCMをかけまくりのコメディ。命が宿ったテディベアと、そのぬいぐるみと一緒に育ち中年になりながらも成長出来ない男の物語である。R15の期待通り、下品なギャグや下ネタを連発しつつ笑わせてくれた。さらに映画ファンならニャッとしてしまうコネタもちりばめられていて、ある世代の男にはドストライクの一本だろう。車に乗るときに天井の上から乗り込むとか、インディよろしく耳を拾うシーンとか、「アルフ」のくだりとかもね。劇場であんなに人が声を出して笑う映画は珍しい。
と、ここまでただのコメディだけど、実に上手く作られている映画でもある。なにせ、「ぬいぐるみが生きている」という無茶な設定を最初の5分で説明し、その後に客に違和感や疑問を抱かせないように作ってあるからね。ぬいぐるみが風呂に入ったり、ナンパをしてS●Xしたり、コカインを吸うんだけど、「重くならないの?」「どうヤッテるの?」「どう吸ってるの?」と思うのは一瞬で、次の瞬間から「そういうものなんだ」と思わせてくれるのだ。そこの部分が上手く行っているので、後半のドラマ部分にバッチリ感情移入できるのだ。泣かされるほどに。
もう一つ面白いのは、こんな映画なのに人としてのあり方を学べるんだよね。テッドと主人公の関係を通して、友情や責任感、人はどう大人になるのか、人には何が大事なのか。そして主人公の恋人のローリーを通して、人を判断する時にどこを見ればいいのか、どこに魅力があるのかを教えてくれる。こんな映画だけど、それなりにメッセージもあるのだ。
それにしても大人になりきれない人の映画がいつからか多くなっているなあ。この映画を作っているのちょっと上の世代の人のだろうけど、下ネタやおタクな映画ネタを並べて喜んでいるのだから、世界的な傾向なのかな。

勝利

 今シーズンのラストを無事勝利で終えることが出来た。掲げた目標とは違う舞台ではあったが、そこがどこであっても姿勢を変えずに戦うことが出来た。シーズンに入る前は色々と心配事や問題もあったが、終わってみれば無事1年を通して活動を行うことが出来た。怪我や仕事の都合などでこの場に入れなかったメンバーもいたけど、とりあえずはこの1年、皆で頑張れたことに感謝だ。

ラストマッチ

 明日の試合で今シーズンは終了する。この試合が終われば自然と「来季どうするの?」みたいな話があちこちで始まることだろう。当たり前だけどチームというのはそれを成す個人と共に変化していくもので、永遠に同じ形を保つことは出来ない。永遠に続かないからこそ今あるこの輪が大事で、大事にしてきたのだがそれも明日で一応の終わりを迎える。もちろん、寂しいことではあるが変化は絶対に必要な事も分かっている。変化こそが集団を保つ一番の薬だからね。僕も現金なもので体の調子が悪かったり、プレイがイマイチな時は「そろそろかな・・」なんて思うんだけど、色んなことが好転しだすと「まだまだ!」と思ったりする。どっちなんだって話だけど、個人も刻々と変わっていくってことか。とにかくこのラストマッチ、飾りたい。

半ばを過ぎて

若い頃は「日常」という言葉が怖かった。その時に思い描いていた日常というのは、
「会社に行って家に帰って喰って風呂に入って寝る」
というサイクルで、多くの人はそれを繰り返してやがて死んでいくんだ、と思っていた。それは日々がコピーのコピーの、さらにコピーをとった書類のように味気ないものなんじゃないか?!、というハッキリとした恐怖であった。ガキの僕にとって人生70-80年というのは永遠よりちょっとだけ短いものに感じられただけに、そんなに長い時間、同じ事を繰り返して平気でいられるハズがない。どうなる?俺?!みたいな感じだったのである。大事じゃない一日なんてないし、昨日と同じ一日なんてない、というJPOPの歌詞にありそうなフレーズは欺瞞以外の何者でもなかったんだよね。途中から、平穏な日々が続くのはいい方で、嫌なことや苦しいことだってたくさんあるんだから、という事に気づくんだけどとにかくまあ、ガキにとって想像も出来ない長い時間というのは怖いものだったのだ。

 本日、また1年を重ねた私はおそらく人生の折り返し地点にいると思う。多分、半分使っちゃったのだと思う。そういう自覚や予感があるわけではないけど、おそらくそうなのだろう。ガキの頃にビビッていたあの日常の半分をすでに消費してきたわけだ。だからといって特別は感慨や想いがあるわけではないが、
・もう半分?まだまだ色んなことやりたりないよ?
・まだ半分?結構やってきたつもりだけど
が同居している笑。そしてこれはきっといつになっても変わらないであろう事もわかっている。やっぱり、どうなる、俺!?なんだよね。

 それにしても、「後半分しかないよ」というパンチラインは破壊力抜群だよね。普通だったら焦って頑張っちゃって逆にペースを崩すんだろうけど、今のところは大丈夫そう。笑。まあ、歳を重ねることに対する不安は数字とは関係ないことを知っているからね。いつか体が思うように動かなくなったり、色んな物事に対する興味を失うときが来るかもしれないがそれは今ではないし、いつ来るか心配しても意味がない。これからも日常ドンと来い!だ。

PS4

 PS4が正式に発表された。デモの映像も披露され、毎度の事ながらリアルな映像であった。PS3の機能をフルに使い果たせていないのにもう次のかよ、と思ったんだけどでてからもう7,8年経ってたのにビックリ。ハードが高機能になって映像や音が良くなったり、ネットも出来て、ブルーレイも再生出来て、録画も出来るのは凄くいいんだけど、なんだか複雑になっているような印象を受けるんだよね。こういう事も出来る、ああいう事も出来る!と魅力を語られるたびに
「ああいいなあ!」
と思う前に
「面倒くさそうだなあ」
と思ってしまうんだよね。年取った証拠かな。
 こういう凄いゲーム機が出るたびに
「初代のファミコンが1番面白いんじゃないか?」
と思ったりする。無限の可能性より、限られた条件の中から生まれた物のほうが優れていたりするからね。事実、ファミコン時代のソフトは名作が多く、今でも全然プレイできる。ゲームの中毒性とも言うべき「楽しさ」はキレイな映像の中にある訳じゃないからね。でも、よく考えるとファミコンを知らない世代もいるんだよね。彼らはきっとPS4が出ても最大限に活用出来るんだろうけど、ファミコンの面白さを知らないなんてかわいそうな気もする。

ケーブル

 パソコン周りとか、テレビ周りのコードに苦労することが多い。ただでさえかさばるのに、静電気でほこりが集まるし、掃除もしにくい。コードを上手くまとめてくれるグッズもあるにはあるが、量が多くなると使えない。そもそも配線を繰り返しているうちに何が何やらで、まとめるとこそういう問題じゃないんだよね。僕も最初は気を配ってコードが絡まないように配線をしてコードを綺麗に並べるんだけど、それが一度崩れるとどうでもよくなり、また混乱が始まる。なんて事を考えていたら、上には上がいるようで…。もはや鳥の巣だ。
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未来像のなかで、いつか完全コードレス時代がくるんじゃないかと思っていたんだけど、電源ケーブルだけはどうにもならない物なのかな。

地は水よりも濃い

G006900200003S0000-15B15D1 母方の祖父が大のナッツ好きで、いつもくるみを常備していた。いつもくるみを割っては中身を取り出してはポリポリと食べるんだけど、大人というのは手間を掛けておやつを食べるんだと思ったのを覚えている。面白いのはくるみの殻の割り方である。くるみの殻のあるポイントに沿って左手の薬指を伸ばしながら乗せて、右手をグーにして、ハンマーのように薬指の上の用に振り下ろすのである。そのやり方でやると魔法のようにパカッと殻が開くのだ。結構な力で指の上から叩くものだから最初は怖いんだけど、マスターすれば面白いようにくるみを開けることが出来るんだよね。
img-thing 実は我が父も大のナッツ好きである。酒は飲まないのに、いつもコレを買ってきてはポリポリと食べている。くるみの割り方は好きだけど、これに手を出してポリポリ食べているようではおっさんだなあ、なんて思ってちょっと冷たい目で見ていた僕ではあるが、この前コストコに行ったときについつい買ってしまった。とんでもない量だから、半年は持つだろうなあなんて思っていたけど一ヵ月半でなくなりそうである・・。血は争えないな。