北朝鮮での犯罪

北朝鮮で多くなっている犯罪の一つとして、海外からアダルト動画を入手し鑑賞するというのがあるらしい。北朝鮮の犯罪を紹介する番組で紹介していたんだけど、麻薬の使用と同じぐらいに罪が重いとされているとか。昔みたいにVHSやDVDではなく、データでの持ち運びだから取り締まりが難しいらしく、当局は苦労しているとのこと。ここまで聞いたら、そこまでのリスクを背負ってエロ動画を見るのは逆に超気持ちよさそうじゃん!と思ったけど、エロ動画所持・鑑賞の罪は極刑にあたり、公開処刑をされている人がすでにたくさんいるらしい・・。最近は裕福層にスマホが行きわたっていることもあり、いよいよ混沌としてきているらしいけど、エロ動画所持で銃殺刑なんてどんな基準だ?と思ってしまう。喜び組はいいけど、AVはダメ、みたいな価値基準で納得するのは難しい。

アメリカの団体が使わなくなったUSBメモリーを集めている。そこに韓国のドラマやエロ動画を詰め込んで、北朝鮮でばらまくのだそうだ。体制を崩すのに、ネットよりこっちの方が効果的だと見られている。経済制裁や戦争ではなく、国民レベルで体制を蝕んでいくのはたしかに効果的な気もするよね。途中で終わっているドラマとか、続きが気になって仕方ないから見たくなるだろうし・・・。

ケンカ

昨夜、整体の帰り道。前方に軽自動車二台の車がハザードを出して停まっていた。良く見ると、前に停まっている方の車の後ろが歪んでいた。事故だ。運転手はどこかな、と思ったら、中年の男性が二人歩道に立っている。が、その距離感がおかしい。恋人か?というぐらいの距離でくっついてるんだよね。注視してみたら、お互いに掴みあってもみ合っているのだ。うわー、いいおっさんが二人喧嘩してる・・、と思ってこれは通報した方がいいのか?と。さらにその前方に携帯を耳に当てながらことの成り行きを見守っている人がいた。同乗者だったら喧嘩に加わっているだろうから、第三者が通報しているのだなと理解。とりあえず通りすぎたけど、あの後どうなったんだろう。寒空の下、おじさん二人がもみあっている映像は迫力はないが、なかなか後味が悪く、寒い夜がより寒く感じられた。

トレーニング・トップはこれで完成する。

もうすぐ冬が終わりそうですが、希望者がいることもあり下記アイテムを作成します。
番号、エンブレム、前期スローガン(僕が時々勝手に決めるやつ)マーキング付き。
希望者のみ。5人集まったら作成します!

トレーニングトップはこれで完成する!トレーニングトップを持っていない人もこの機会におねがいします!
希望者は連絡ください。S,M,L,XL。


NIKE SQUAD 15 サイドラインショートパンツ
7500円

 

 

 

NIKEカスタムSQUAD15サイドラインパンツ
9000円

どう信じるか

 怪しい治療の話しってあるよね。これが健康にいい、あれが体にいい、はたまたこれでガンが消えた!というのもある。西洋医学のような市民権を得ているもの、そこそこ認知されている整体やマッサージ、人によっては疑問譜がつく鍼や灸。最近見かけたのでは「鍼・光線」というのがあって、逆の意味で興味がわいてしまった。
 僕は定期的に整体に通っているのでそれを信じているというか、自分自身の体験による効果を実感しているんだけど、この整体にだって良しとされている思想みたいなものある。これが正しい、という価値観というか、哲学があって、僕もそれを認めていて治療をしてもらっている。それを知り理解することで「ああ、だから効くんだよね」と納得できるのである。そして、これがあるからこそどんなに怪しそうな治療を見ても簡単に否定できない、とも思う。
 どの治療方にも(それがちゃんとしたものなら)同じように立てられている理論や正しいとされている哲学がある。あとは個人がその理論を吟味し選択すればいいだけなんだけど、これがまたそう単純でもない。例えば、どんなに変な治療法でも患者が10,000人いたら、一人ぐらいには効く可能性がある。なんで効いたのかの原因はわからないが、確かに効果がある、ということが。変わった水を飲んだだけでアトピーが軽くなったとか、便秘が治ったとかね。その一人以外の人たちにとっては全くの無意味なものでも、その一人にとってはそれが正解であり、すべてなんだよね。どんなに変な治療法でも。同じようなことが宗教にも言えるのかな、と。そう思うと最後にたどり着くのは「信じれば効く」という価値観であり、それこそ宗教なんだよね。

何を信じるか。

 出家のニュースの時、あれが幸福のナンチャンラではなく、キリスト教のカトリックだったらどうだったんだろう、とふと思った。少なからなず、幸福の~がもつ印象にこのニュースは引っ張られた気がするんだよね。カトリック教会に出家します!となってたらそこまでのイロモノ扱いされなかったのではないか、と邪推してしまったのである。なんとなく僕らが持つ新興宗教に対する「印象」みたいなものをうまく利用された気がするんだよね・・。
 こういう話題になったときに思うのは、新興宗教にはまる人を見ながら
「自分は無神論者だから新興宗教にはまる人たち理解できない」
と言う人たちが一番危ないなあ、ということである。自分が何も信じていなく時にこそ、ふと「それっぽい」ものを見せられた時にフラっとあっち側に行ってしまう危険性があると思うんだよね。オームの時にもそう思ったけど、自分の中での確固たる価値観がある人ほど危ない気がする。「神様は絶対にいる!」と「神様は絶対にいない!」は真逆でありながら同じように危険だろうなあ。

40

 本日で40になりました。特にこれと言った感想があるわけでもないが、おめでとうの言葉は素直にありがたく頂きました!。
 僕の先を走っている先輩たちがおり、そのため老化に対する恐怖心はない。子供の頃に想像した40歳はもっともっと終わりに近い姿だったのだが、なってみてわかるのはまだまだ「途中である」ということである。全てに置いて確固たるものはなく、何もかもが現在進行形であり、「そもそも終わりがないんじゃないか?」と勘づき始めている。それは大人としての常識だったり、責任だったり、いろんな側面があるんだろうけど、何もかもが完璧に収まっていない今、とりあえず明日も生きるか、という自転車操業に近いものなんじゃないか、人生は、と思うのだ。それは僕だけではなくこの世界も同じで、とりあえずどんな形でもいいから明日に繋げるか、ということを毎日やっているんだよね。まあ、なってみないと分からないが、分かったからって何かが変わるわけでもない、という感じかな。とにかく今後もともよろしくお願いします!
 

何かが終わる時

 バルセロナのメッシが
「チーム内に入らない選手がいる、放出してほしい」
と言うことを上に訴えたと言うニュースを見て非常に悲しい気分になった。どこまでが真実なのか知る由もないが、こういうニュースが出ること自体、バルセロナのある種の終焉を示唆しているんじゃないかと思う。
 バルセロナのサッカースタイルが流行し、そのスタイルがサッカーにおける一つの正解であり、なおかつカッコいい!最強だ!という価値観ってあるよね。創造的であり尚且つ美しい、しかもそれで勝つんだから素晴らしい!とみんな思ったけど、あれが流行した大きな原因の1つに
「やっている本人たちが楽しそうだ」
というのが間違いなくあったように思う。ネイマールが加入した時も、スアレスが加入した時も一瞬で仲良くなり、しかも集団の中で自分自身を表現しながらも、相手を圧倒して勝つ、しかも楽しみながら。それがバルサの1つの魅力であり、みんなが恋い焦がれた所の1つだと思うんだよね。PSGに4点を取られて負けた今、「バルサ最強時代の終焉」とあちこちで言われている。強いチームがああいう感じで負けるとだいたいそう言われるものだから、そんなことはないと思うけど、山の頂にいたころのチームではないことだけは確かだそうだ。
 ピークに居続けることは難しい。一度登ったら、あるのは下りだけ。長い歴史の中で幾度となく繰り返されてきたことだからもはや自然の摂理だと思うけど、それが好き嫌いとか、人間関係でチームの内側からやってくると思うと、とんでもなくやるせない気持ちになる。

keep the faith

 誰が何を信じ、何を表現し、どんな政治的思想があってもそれはその人の勝手で、そのすべてが許されるのが近代国家の基礎なんだけど、今回のニュースをきいて微妙が気持ち悪さを感じたのは僕だけだろうか。最初はその宗教団体のが持つ得体の知らなさから来るものか?と思っていたけどそうではない。あの宗教団体のことは知らないが、知らないのは他の宗教も同じ。規模こそ違えど、似たようなものでしょきっと、と知らない側は思ってしまう。ただ、思ったのは日々の辛さを支えてくれるのが宗教のはずであって、逃げる先ではないんじゃないか?ってところである。浮世から逃げて匿う展開は、まるで現実社会に対し宗教は無力である、と言っているようで「そこに価値はあるのか?」と思ったのだ。後はまあ、神のルールもあるんだろうけど、同じぐらいに人間のルールも大事だろ!と思うんだけどね・・。報道なんて信じられたものじゃないから良く分からないけど、宗教信じるまえに人としてのスジを通した方がいいんじゃないか、と思う・・。

政治ショー

 何やら都知事の所についにいしはらシンタロウ氏が出向くらしい。ラスボスっぽい扱いをされているイシハラシンタロウ氏だが、よく考えたら80歳のおじいさんである。80過ぎのおじいさんに10年前のことを聞くわけだから、「良く覚えていない」というのが普通じゃないか?と思えてならない。本人に責任があるのは当たり前だけど、今になって本人に責任を追及するのは不自然な気がする。イシハラ氏に権力がなくなったから追及するわけで、イケイケだった時に追及した人はいなかったじゃん!と思っちゃうんだよね・・。正義の女勇者が老害ラスボスをやっつける!みたいな構図になっているけど、よく考えたらこれイジメに近くないか?
 イシハラ氏が都知事時代に仕事のすべてを丸投げにしていたとしても責任があるのは間違いないが、悪玉をやっつける女勇者!というドラマが演出されている政治ショーに思えて仕方ない。

痛み

 今日の昼過ぎぐらいかな、歩くときに痛みを感じていないことに気づき、嬉しくなってしまった。今朝、家を出た時には一歩を踏み出す時にやっぱり痛みを感じていたからまだまだかあと思ったんだけど、いつの間にか痛くないことに気づいた。まあ、あくまでも歩くときだけのことで、少し早歩きや走るとなると一気に痛みが襲ってくて、途中でやめてしまう。小さな小さな回復の一歩だけど、それでもうれしい。
 グロインペインが再発した時にすぐに運動を中止して治療に入れば良かったんだけど、当時僕らはいいところを走っていた。残り一カ月、4試合。どれも全身全霊をかけなければ勝てない相手。シーズン終了後にチームを離れる選手もいて、なんていうか、無理をしてでもやりたい条件がすべて揃っていたんだよね。ありったけのもっているものを出したい、出さないといけない。なので、痛み止めを飲みながら騙しだましやって、シーズン終了後に完璧に治すために休もう、と思っていたんだよね。何とか最後の試合まで持ってくれたけど、前半の途中で時間切れ。瞬間的もう走れない事を理解しながら、ここでかよ!と思った。悔しいとはまた違う、情けないような、ちょっと名前のない気持ちを感じたよ。とりあえずは気長に治していきます。でもここからが長いんだよね・・。