何を信じるか。

 出家のニュースの時、あれが幸福のナンチャンラではなく、キリスト教のカトリックだったらどうだったんだろう、とふと思った。少なからなず、幸福の~がもつ印象にこのニュースは引っ張られた気がするんだよね。カトリック教会に出家します!となってたらそこまでのイロモノ扱いされなかったのではないか、と邪推してしまったのである。なんとなく僕らが持つ新興宗教に対する「印象」みたいなものをうまく利用された気がするんだよね・・。
 こういう話題になったときに思うのは、新興宗教にはまる人を見ながら
「自分は無神論者だから新興宗教にはまる人たち理解できない」
と言う人たちが一番危ないなあ、ということである。自分が何も信じていなく時にこそ、ふと「それっぽい」ものを見せられた時にフラっとあっち側に行ってしまう危険性があると思うんだよね。オームの時にもそう思ったけど、自分の中での確固たる価値観がある人ほど危ない気がする。「神様は絶対にいる!」と「神様は絶対にいない!」は真逆でありながら同じように危険だろうなあ。

40

 本日で40になりました。特にこれと言った感想があるわけでもないが、おめでとうの言葉は素直にありがたく頂きました!。
 僕の先を走っている先輩たちがおり、そのため老化に対する恐怖心はない。子供の頃に想像した40歳はもっともっと終わりに近い姿だったのだが、なってみてわかるのはまだまだ「途中である」ということである。全てに置いて確固たるものはなく、何もかもが現在進行形であり、「そもそも終わりがないんじゃないか?」と勘づき始めている。それは大人としての常識だったり、責任だったり、いろんな側面があるんだろうけど、何もかもが完璧に収まっていない今、とりあえず明日も生きるか、という自転車操業に近いものなんじゃないか、人生は、と思うのだ。それは僕だけではなくこの世界も同じで、とりあえずどんな形でもいいから明日に繋げるか、ということを毎日やっているんだよね。まあ、なってみないと分からないが、分かったからって何かが変わるわけでもない、という感じかな。とにかく今後もともよろしくお願いします!