やれることはやれるうちに

 というわけで、これが今年最後の記事になります。正直大晦日はただの区切りであり、明日から何かが変わるわけではないんだけど、それはそれで、何かしらの線引きは必要かなと思います。気分的な問題かな。今年がどんな1年だったかといえば、変化の多い1年だと感じているんだけど、それだっていつも同じ。特別でない日が一日も無いように、何もない一年もあるはずがないよね。歳を重ねてきた今だからこそ、本当にそうだって思える。
最近良く、後どれぐらい出来るかなあと思うことは多い。今までだって節目節目でそういう思いが頭をよぎることはあったけど、追い出すのもまた簡単であった。が、最近ではその不安に似た思いは現実味を帯びていて、具体的だったりする。調子が悪かったり、怪我の具合が悪くなったりすると、心の中にそういう滓みたいなものが溜まるんだよね。決していい気分ではないんだけど、その時に思ったのは
「限られているのならより励むべき、楽しむべき」
ということだったんだよね。我ながら単純だけど。後どれだけ出来るか分からないんだから、出来る時は一生懸命やらないといけないんじゃないのか?という単純明快な考えである。で、これは正しいんじゃないか?とも思う。まあ、こんなことは小学生だって知っているんだろうけど、歳を重ねてきた僕にしか分からない意味もある。やれることはやれるうちに。自分にできるやり方で、形で。
 1年を終えるときに色んな人の顔が浮かびます。その皆にとって、来年が最高の1年になることを祈ります。忘れてはいけないのは、みんなとの間にも間違いなく時間は流れていること。いいことも悪いことも、嬉しいことも悲しいこともたくさん起きては過ぎ去っていくことでしょう。それらを大事にしながらどうせなら楽しいこと、嬉しいことが多い1年になればと思う。

けり納め

本日はブルメで1DAY大会に参加。残念な天気だったけど、楽しく蹴り収めることができた。結果も天気と同じでイマイチだったけど、(PK戦で一度負けただけだったのに)気持ちよく笑顔で終われた。1DAYは待ち時間があったり、熱くなる人がいて変な怪我をしたりでイマイチいい思いではないんだけど、何のトラブルもなく終わることが出来た。昔から一緒に過ごしてきた仲間だが、間違いなく皆おっさんになっている笑。が、それが嫌かと言ったらそうでもない。
皆からお祝いを頂きました。とても気に入りました。世界広しと言えども、これにコーラを入れて飲むのは僕だけでしょう。
割らないように気をつけます。
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年末進行

 今日あたりから朝の時間帯の交通量がめっきり減っている。いよいよ世の中が締めに入ろうとしている。
 TVもそれにならい、特番ばかりで非常につまらない。1年を振り返るまとめ番組も多く、どこも同じネタを扱っている。特に芸能スキャンダルは見ていられない。シオヤシュンの映像が流れるたびに、芸能人は大変だなあと思う。事件が熱かったときも報道され、風化が進んでやっと世の中からその話題が消えたと思ったら、年末にまた報道されるわけでしょ?自業自得とはいえ、何回恥をかけばいいんだ?って話である。まあ、芸能人にとってそれも一つの名を売る行為ではあるから、必ずしもマイナスばかりとは限らないが、なんとも因果な商売である。

松井

 松井がメジャーに行った時、世間の祝福モードの裏には「裏切り者」という空気が少なからずあった。本人も記者会見でそういうぐらいだから、よっぽど強いものだったに違いない。日本球界に復帰しない理由には自身の美学以外にも、「裏切り者と呼ばれた球界には戻らない」という意味もあったんじゃないかと思ったりする。そういう意味では松井は日本球界の何かを背負い、背負わされたと選手だったと言える。選手としてだけでは評価されない、他の何かを求められ宇存在だったのかな。前にも書いたけど、僕の世代にとって松井の存在は特別なものなんだよね。今日で一時代が終わったことを感じる。
 今思えば、苦しい道を歩いた最後の3年のキャリアは意味深いものになりそうだ。エリートコースを歩いてきた男が違う世界を体験したわけで、それは王や長島など、歴代のスーパースターが通ってきていない道でもある。日本球界でもメジャーでも、頂点を極めながらもどん底に近い舞台も体験している選手はそういないはず。現在のジャイアンツや日本の球界における松井の立ち位置はわからないけど、色んな意味で先が楽しみだ。

美しさってなんなのさ

 いつかのアンビリバボーで、40%のやけどを乗り越え、美人コンテストに出場した女性の話をしていた。不運な事故で全身にやけどを負った彼女は幾多の手術とセラピーを得て、社会復帰を果たす。その後、火傷に苦しむ人を支える活動をはじめ同じ境遇に苦しむ人達を支えるのだが、自分自身は人前に傷跡をさらすことが出来ずにいた。それじゃイカンということで、彼女はビューティーコンテストに出場することを決意する。それは今も火傷に苦しむ人達を支えるため、そして自らの弱さを克服するための決断であった。
 ここからは再現ドラマではなく、本当の映像も流れ始める。傷跡を隠すことなく堂々と歩くこの女性の姿は威厳にあふれ、表情に何かを乗り越えた人々だけが持つ自信にあふれていた。確かに格好いいのだ。大事故を乗り越えた上にそれを克服し、さらに人のために行動しながら自らの弱さに立ち向かう姿。誰にでも出来ることではない。良いドラマだったらここで終わるんだけど、なんとこの人、優勝して州代表になるんだよね。それだけでなく、そのまま世界大会に出てそこでも優勝してミセスインターナショナルになってしまうのである。美しさだけでなく、社会的な活動やその姿勢が評価されたのである。僕は見ながら、一瞬感動しそうになったけど、それって美しさか?とちょっと冷めてしまったのだ。
 たしかに彼女はすごい人である。尊い目標のために、自分の一番見られたくない傷跡を人前にさらしたのは素晴らしいことである。きっと内面的にいい人なのだろう。が、ここで問題になるのは
内面の美しさ=外見の美しさ
であるかって事、そして
ビューティーコンテストで何を競っているのか
ってことである。

 美しさとは何なのか。性格の悪い絶世の美女、性格のいい普通の女性。良くある対比だけど、ビューティー・コンテストという場では「中身は問わない」とした方がフェアなんじゃないか?となんとなく思っちゃったんだよね・・。内面が表情や顔に出ることはもちろんあるんだろうけど、美しさだって一つの才能のはずなんだよね。それだけを純粋に評価しない事は不公平な気がするのだ。

改行文化

例の事件の時に初めてホシノアキさんのブログを見たんだけど、なんか改行が多くない?

今日は

ずっと楽しみにしていた

ステマのギャラが

振り込まれました!

うれしいーーー!
みたいな感じで、どうにも改行が多いのである。最初は文体のリズムみたいなものを表現しているのかな、なんて思ったけど明らかに考えすぎで、スペースを稼いでいるだけであった。試しに、下の方にランキング状で並んでいる他の芸能人のブログを覗いてみたら、皆同じように分を短く刻んで改行を繰り返していた。・・・・。あれはきっと「続きを読む」みたいな所をクリックさせてアクセス数を稼ぐせこい作戦にちがいない。芸能人はつらいな。
 でも、なんだか知らない間に変なものが流行っているなあ。このブログにリンクを張っているnumber25も同じように改行を繰り返すんだけど、こいつの場合は句読点がちゃんとしているし、区切るところが不自然じゃないから気にならなかったんだけど、今ではある種類の芸能人のブログは皆そうなのかな・・。どうも気に食わないなあ。

ホビット

The_Hobbit_An_Unexpected_Journey_poster_Hobbits_749x1109  今年の年末は本当に傑作が多い。「アルゴ」も「007」も最高だったけど、この「ホビット」も期待に添う傑作であった。特に僕が愛してやまないゴラムが出てくる件は練りに練られていて、後に待つフロドとの出会いはより意味深いものに感じられる作りになっている。ゴラムサイドに立って考えれば、「バギンス」という名を聞いた時に浮かんであろう、色んな気持ちがより分かるのである。ゴラムに感情移入しすぎかな。
「ホビット」は「LOTR」よりファンタジー要素が多く、明るい雰囲気になっている。ビルボは帰ってくることは既成事実だから当たり前だけど、それはそれで楽しい作りになっている。僕は「LOTR」の何が好きかって、それは一時代を終わらせに行く、帰りのない旅に出かける事から生まれるその「暗さ」なんだけど、「ホビット」にそれはないんだよね。ないんだけど、この先に待つ暗黒時代の足音がヒタヒタと密かに重ねられている描写が所々にあって、ただの冒険譚にはなっていない。
でもやっぱり一番はあの世界観だよね。音楽がなってシャイヤの緑が映ったときに「LOTR」の感覚が蘇るんだよね。そうそう、これ、この感覚ってのが。こういうのって続編ならではの感覚で、このシリーズが愛される一つの理由とも言えるんじゃないのかな。

サンタ

我が家のアイドルである姪っ子はまだサンタの存在を信じている年齢である。信じているというか、漠然とした存在としての認識しかないようだ。僕も何歳までサンタの存在を信じていたのか、全く覚えていないけど、おっさんになった今は
「逆にいるんじゃないか?」
と思う。
 いつも書いているけど、物事の真実はその事実ではなく、
「どれだけの人たちがそうだと思っているか」
ってことなので「サンタはいる」と思っている人たちがある程度存在するってことは、サンタもまた実在するってことになるのである。それはお父さんだったり、原付きでピザを配っている疲れた若者だったり、ミニスカで編みタイツだったりする。
 まあ、形なんてのはどうでもいいんだけど、誰にでもプレゼントを考えるのが楽しみだったり、プレゼントをあげる相手の喜ぶ顔を想像したり、恥ずかしいけど、「相手を喜ばせたい心」というのはあるはずなんだよね。言いかえれば優しさなんだろうけど、普段よりももう少し濃い目にその優しさを表現しても恥ずかしく感じさせないための言い訳、それがクリスマスであり、その使者がサンタなのだ。まあ、大きな照れ隠しなのかな。
 というわけで、僕も姪っ子にプレゼントを用意したのですが、プレゼントを発見しあける時の反応はとても楽しく、どきどきした。サンタも楽じゃないな。

サンタ

 我が家のアイドルである姪っ子はまだサンタの存在を信じている年齢である。信じているというか、漠然とした存在としての認識しかないようだ。僕も何歳までサンタの存在を信じていたのか、全く覚えていないけど、おっさんになった今は
「逆にいるんじゃないか?」
と思う。
 いつも書いているけど、物事の真実はその事実ではなく、
「どれだけの人たちがそうだと思っているか」
ってことなので「サンタはいる」と思っている人たちがある程度存在するってことは、サンタもまた実在するってことになるのである。それはお父さんだったり、原付きでピザを配っている疲れた若者だったり、ミニスカで編みタイツだったりする。
 まあ、形なんてのはどうでもいいんだけど、誰にでもプレゼントを考えるのが楽しみだったり、プレゼントをあげる相手の喜ぶ顔を想像したり、恥ずかしいけど、「相手を喜ばせたい心」というのはあるはずなんだよね。言いかえれば優しさなんだろうけど、普段よりももう少し濃い目にその優しさを表現しても恥ずかしく感じさせないための言い訳、それがクリスマスであり、その使者がサンタなのだ。まあ、大きな照れ隠しなのかな。
 というわけで、僕も姪っ子にプレゼントを用意したのですが、プレゼントを発見しあける時の反応はとても楽しく、どきどきした。サンタも楽じゃないな。

ふう、はー

 何とも感想に困る試合である。勝ってこそ兜の緒を締める、何だろうけどそれ以前の問題か。試合前からいろいろな雑音の中でのスタートではあったが、理由にはならない。追いつき逆転した事は評価出来るんだろうけど、出来るのなら最初からやれよという話でもある。はー。上手くはなりたいが、それ以前に強い選手でありたい、と思う。
 終わったその足で整体に直行。体だけじゃない色々をほぐしてもらいました。試合→整体の流れは癖になりそう。