明日は頼みました。

 明日の試合に参加できない僕は、本日のクリニックに参加。WEEDからは一人だけを覚悟していたけど、
・若いから疲れが翌日に残らない@9(スニーカーの話をした)
・おそらく疲労のことは考えていないであろう@4(特に話はしなかったが、帰るときには挨拶してくれた)
が参加した。同じく明日参加出来ない@8も挨拶に来てくれた。(ネクタイがビシッと決まっていた)。
 代表も僕も参加しない明日の試合、ある意味世代交代の試合とも言える笑。もちろん、まだまだ何かを譲る気はさらさらないけど、僕らの不在は案外いい影響をもたらすかも知れない、とちょっと期待している。変化は常に突然訪れるものだし、大抵は歓迎出来るものだ。気長に結果を待ちたい。
頼みました。

からたち野道

THE BOOMの歌に「からたち野道」という名曲がある。とにかく歌詞がいいんだよね。心にグッと来るすごくいい詞なんだけど、不思議なことに聞く人によって捉え方が変わる曲でもある。人によっては恋の歌だったり、故郷を思う歌だったり、反戦歌だという人もいる。

赤い実にくちびる染めて
空を見上げる
これ以上つらい日が来ませんように
飛び石踏んだ
からたち野道 花ふく小道 
泣いたらだめよと 虫の音小唄
からたち野道 はるかな小道
あのひとのもとへと続く道

紅い血にくちびる噛んで
空を見上げる
もう二度とつらい日が来ませんようにと
まぶたを閉じた
からたち野道 垣根の小道
泣いたらだめよと 沢の音小唄

からたち野道 はるかな小道
あの人の歌がきこえた道

 これが歌詞の一部なんだけど、とにかく切なくて悲しい歌詞なのである。前はいたけど今はいない誰かの喪失感に泣きそうになりながらも、必死でそれを我慢している様子が伝わってくる。「あの人」とは幼い頃に遊んでくれた母かも知れないし、戦争に取られた愛する人かも知れない。
 失ったその人との思い出がたくさんあるからたち野道を歩きながら、主人公はその人のことを想う。遊んでくれた思いで、歌ってくれた思いで、一緒にそこを歩いた思い出。でも、残念ながらそれらはやっぱり思い出でしかないんだよね・・。それを想うと泣きたくなるんだけど、必死で我慢する。
「唇を噛んで」の部分に耐えている様子がわかる。おそらくその人は手を力一杯握りしめて、涙がこぼれない様に空を見上げている。この「耐える」感覚は誰もが味わったことのある気持ちで、だからこそ、その人なりの捉え方が出来るのかもしれない・・。
 
 この歌のもう1ついいのは、そんなに有名な曲でもないところで(笑)、知るぞ人ぞ知る曲でもあるんだよね。もう10年前以上の曲だけど未だにその価値は変わらず、聴くとその世界に入れる。

今年もか・・

 今日からかな、空気の質が完全に変わった。春の訪れか冬の終わりか、とにかく時間は前に進んでいて季節も間違いなく変化しているようだ。気づけば日も長くなっているし、暖房をつける時間も短くなってきた。暖かくなってくるのは歓迎だし嬉しいんだけど、その暖かさと共に奴がやってくる・・、花粉症様が。
 もう毎年の事だからいい加減慣れて、昨年の薬をあえて余らせて鼻がムズムズしてきたら飲むことにしている。あので、不快な感覚はほぼないんだけど、それでも薬をもらいに病院に行くことの面倒や、「一生治らない」という十字架が気分を重くさせるのだ・・。いつか特効薬みたいなものが出来ないものだろうか。

墓地

 すごく前にも書いたと思うけど、街中にお墓がある文化はかなり独特である。ほかのアジア圏でもそうだったりするのかな。とにかく欧米文化では、
「角を曲がったらお墓がある」
というのはありえなくて、日本に来たころは本当に怖かったのを覚えている。「ゲゲゲの鬼太郎」とか見ていただけに、余計に恐怖心があったものだ。

 幕張のフットサル場まで走っていくとのコースにちょうど墓地がある。大通りからちょっと中に入って、山の斜面を削ったところに作られた墓地である。そんな広くはないんだけど、走っているコースより一段高いところにあるから、ちょっと圧迫感があったりする。いつもは夜走りながら通るので気にしていなかったんだけど、ちょっと前に明るいときにそこを走ったら、すごく手入れの行き届いた墓地だったんだよね。ごみも落ちてないし雑草一つ生えていなくて、供えられたまま枯れた花などもなく、すごく綺麗だったのである。墓地が綺麗なのはなんて言うか、メンテナンスをしている親族なのか担当の人なのか、誰かは分からないけどその人の気持ちみたいなものが見えてなんだか好感を持ってしまった。少なくとも人が定期的に来ているということではある、と思うんだよね・・。でも、残念なことに「犬の糞は~」、「ごみを捨てないで~」の看板もたくさんあって、ちょっと残念であった。墓地を汚す輩なんているのかと思うと、ちょっと寂しくなった。

PS4

 そういえば、PS4が発売されたね。あんまり話題になっていないけど、僕が聞いてないだけだろうか。PSとPS2の時はかなり話題になって、それこそ夕方のニュースで行列の様子を報道されるぐらいだったと記憶しているけど、もう時代は変わったってことなのかな。映像が凄く綺麗なことは知っているけど、それ以外にもたくさん機能があるんだよね?ネットで配信とか、SNSを簡単に使えるとか。色々とあるのはいいんだけど、どうもそれを聞いただけで「複雑」、「面倒」という言葉先に浮かんでしまった僕はもう歳なのだろう。今までハードを買ってきたのは「大けが」をした時と決まっていて、出来れば今後もあんまり買いたくないよね笑。とはいえ、なんと、あの「メタルギア」の新作が出るんだよね。それだけは気になる・・。

日常

 本日また、一年を重ねた我が人生である。昨年書いたように、残った時間の半分の、その中の一年がもう過ぎた訳だ。早い早いとは聞いていたが、ここまでか!という感じもする。昨年は若い頃に持っていた「日常に対する恐怖心」みたいなものを書いたが、1年後の今日、状況は大して変わっていない。この一年の間にそりゃあ色んなことがあって、細かい所に目を配れば僕も変わっているだろうけど、大筋の部分では同じだ。もうここまで来れば、きっとこの先も同じであろう事も予想がつく。でも、それでもこの時間の中で理解し、何となく掴んだ真理も少なからずある。 
 ここ何年かで、色んな事を選んできた気がする。そしてその中で好きなこと、必要なものだけが残ってきている様に思う。面白いのは自分からそう仕組んだわけではなく、自然とそうなったこと。きっとこれはこの先も続き、最後には本当に必要な・好きなものだけが残っていくんじゃないかと思う。これは年を取って色々と出来なくなったとか、興味を無くしたとかではなく、自分の中の物差しが先鋭化されているからだと思う。結局はそれらが大事だってことなのかな。また一年、行きますか。

4年間

 4年間もの間に暖め来た想い、続けてきた努力が報われなかった時の気持ちはどんなものなのだろう。良いことを繋げて、悪いことすらをも引き連れて迎えた勝負の日。どんな気持ち、どんな緊張感を感じるのだろう。そして、それら全てが1つのミスで無とか化す瞬間、何が頭をよぎるのだろうか。もちろん、全ての努力が意味を無くすとは思わないけど、勝負とは残酷なもので、全てを順位づけ、何もかもをハッキリとさせるものだ。

 それにしても、4年間をフルに、計画的に過ごした選手より、途中で競技から離れて過ごした選手の方がいい成績を残すとは皮肉的だ。成長には色んな道があり、やり方があるってことか。とはいえ、一度失敗をしてもそれでも立ち上がる姿勢というか、一歩も引かないあの根性というか、あの精神力こそ4年間積み重ねたものなのかな。なんか、そこにこそメダルや順位に現れない輝きがある気がする。例え失敗しても、最後まで最高を追い続ける事、っていうのかな。格好いい。

格好いい!

 初めて太陽の塔を見たときは、こんなにデカいのか!と誰もがビックリすると思う。みんながみんな、同じ感想を抱くんじゃないだろうか。それほどのサイズ、存在感、爆発!という感じなのである。この前、旧友がこれを教えてくれた。

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太陽の像が変形するロボットだったら、というフィギュアなのである。あまりにも良く出来ていて、太陽の塔自体も本当は変形ロボットになるようなデザインにされていたんじゃないか、と思うぐらいである。存在感というか、重量感が完璧に表現されていて本当に動きそうだ。変形ロボットでもピッタリ来るなんて、太陽の塔のデザインはやっぱりすごいなあ。都庁も是非作って欲しい。

無法国家

 イクスピアリでしかやっていない映画を見るためにレイトショーに出向く。夜だし平日だし、空いているだろうと勝手に思い込んでいた。映画自体は案の定空いていたけど、食べ物屋さんがどこもかしこも長蛇の列。あれ?ここ、この前オープンしたイオン?と一瞬思うぐらいであった。映画館に入るまで時間もそんなになく、まあそもそも並ぶのも嫌だけど、仕方なくパン屋に入る。しかし、残されていたのはチョココロネとあんパンとチェリーが載った甘い種類のパンのみ。もちろん、一個ずつ食べてやりました。平日の夜でもあんなに賑わうなんて、恐るべしネズミ帝国包囲網。
 で、問題はそれじゃなく、とても多くの人が被り物をしていたんだよね、ディズニーの。近くにネズミーランドがある事は理解しているし何となく別世界、非日常な気分に浸りたいことはわかるんだけど、だからといって
「何もかも許されてるわけじゃないぞ!」
と思ってしまった。可愛い子が大きなリボンをつけたり、それっぽい帽子をかぶるのはいいんだけど、
「あなたはちょっと・・・」
という人までもが必要以上にはしゃいでいた。その姿を動画で撮っておいて、後からDVDに焼いて自分の姿を見せてやりたい、という衝動に駆られたけど良く考えたらこっちの方が数的不利。数の暴力は怖いから止めておいた。ディズニーには博愛の精神が備わっていると思っていたけど、被り物は結構人を選ぶな。

ドライフルーツ

4724186 ドライフルーツが好きである。体にいいという話が広まってからあちこちで置かれていて、手軽に買えて嬉しい。昔のドライフルーツと言えば、色んなフルーツを細かく刻んで混ぜてミックスとして売るのが多かったんだけど、最近ではそのフルーツ単体としても置かれるようになった。細かく切っていなくて、そのまま干しているから食べ応えがあって美味しいんだよね。
 その中でも僕が好きなのは「いちご」である。今は普通に置いてあるけど、実はいちごのドライフルーツはちょっと珍しいんだよね。おそらくドライフルーツにするぐらいだったらそのまた売った方が高く売れるだろうし、需要も少なそう。勿体ないというイメージもあるかも知れない。

 といわけで、昔は食べたくなったらアメ横まで出かけて、ロンドンスポーツの隣の乾物屋買うしかなかった。乾物屋はたくさんあるけど、イチゴを置いている所はそこしかなかったんだよね。250gと500gmと売っていて、必ず大きいのを買って帰ったのを憶えている。最初はたくさんあるからどんどん食べちゃうんだけど、残り少なくなってくるとチョコチョコ摘んでたべた笑。今では普通にファミマでも買えるようになった。いい時代になったもんだ。ちなみにパインといちじくもおすすめです。