ベッカムかっこいい


髪を切ってもらいながら、「ベッカムはなんであんなにかっこいいのだろう」という話になった。ビジュアルもそうだし、サッカー選手としての在り方もそうだったし、やんちゃをしたりゴシップ流したりと「完璧でない」こともその格好良さの一因だと僕は思う。ゴシップは女関係の格好悪いものばかりだったしね。金で揉めたり、人を悪く言ったり、暴力的なところもないのがこの好感度を作っているのかなあ、とも思ったりする。スターにありそうな驕りや見栄がなく、なんとなくいい人オーラみたいなところもある気もする。でもアレだな、おっさんになっても尚かっこいい、それどころか歳をとればとるほどカッコよく見えるのもそうさせるのかな。

やっと

 やっとLAUTで髪を切ってもらう。年が明ける前には切るつもりでいたけど、タイミングを失い今日まで伸び放題だった。もうあと何日かしたら社会人としてあるまじき姿になっていただけに、本当にスッキリした。毎度のことだけど、僕が椅子を降りるときには動物を何匹か殺したのか?というぐらいに毛の山ができていた笑。遅くまで店を開けてもらって助かりました。これで気分気一新だ。
 それにしても話す内容も変わってきたものだ。子育ての先輩にききたいことはたくさんあって、その話ができるので助かるんだけど、10数年前はこんな話をすることになるとは想像も出来なかったなあ。
 

やるせない

 子供に暴行を加え殺してしまったり、酔った状態で入浴して溺れさせてしまったり、額に穴があくぐらいに虐待をしたりと、今週はこんなニュースが多かった。親になってからはこれらのニュースの闇の深さを感じれるようになり、本当本に嫌な気分になってしまう。これは人間人の暗さというか、動物としての側面なのか?と思ったりする。多くの人たちは被害にあった子たちの親を自分とは全く違う生き物、違う人種人に思うことだろう。どうすれば獣じみた野蛮な行為を働けるようになるのか、理解に苦しむところだろうけど、同じ人間がやっていることなんだよね。この事実が一番怖い。
 向こう側とこっち側、まるで違う世界に思えるけど、地続き地であることを認識しないといけないのかなと思ったりする。そりゃあ、その間には底が見えないぐらいに深い崖が横たわっているけど、いつか自分自身も踏み外す可能性があることを認識しないといけない。そういう可能性があることを認識するだけでも、虐待に落ちることはないと思うんだよね・・・。

生涯契約

バルセロナのラキティッチがADIDASと生涯契約を交わしたと言われている。今までもずっとADIDASのスパイクを履いてきたのだが、新しい契約には「キャリアを終えるまで」という項目が入っているようで、広告塔としての役割も担いそうだ。こうなるとバルサにはADIDASの顔メッシ、NIKEの広告塔ネイマールもいるから、色んな意味で大変なチームである。2540432_heroa
NIKEのロナウド→ロナウジーニョ→クリスティアーノ・ロナウド、ADIDASのベッカム→メッシ
こういう、広告塔を立てての商法っていつから始まったのかな、なんて考えていた一番最初はNIKEのジョーダンかな、という気がしてきた。たしかに昔はPUMAのマラドーナとかいたけど、その存在をそのまま商売につなげるという感じではなかったと思うんだよね。ポスターや広告に出ることはあっても、自分専用のモデルを作って履く、というのは最近のことなのかな。

防犯カメラ

セキュリティのかかっていない防犯カメラの映像を覗けるアプリなんて、iPhoneが出た頃からすでにあったんだけどね。中には操作可能なカメラもあって、右に左にと動かせてたっけ。テレビや本でもみたことのない世界の風景ってちょっと珍しくて、僕も入れてた。ロシアのスーパーのカメラでロシア人の防寒具(本当にあの帽子をかぶるのね)をみたり、どこか知らない南の島のビーチを見たり、とかね。一番興味のない、つまらないカメラはそれこそ日本のオフィスとかコンビニとかのカメラで、当時どうでも良かったものが今話題になっているのが面白い。

案外面白かったのはコインランドリーのカメラ。色んな国の色んなコインランドリーがあるんだけど、どれも作りが同じ。不思議と待っている人たちも同じ態勢だったりするんだよね。パリも東京もアメリカもほぼ同じ。洗濯機がグルグル回るなか、ただ待っている人たちの間を、全然違う国なのに同じ空気が流れている。そんな感じなんだよね。

ついに出た。


ADIDASがカラーありのスパイクをいよいよ発表。ただそれではNIKEの二番煎じになってしまうことを嫌ったのか、足首部分までのカラーよりもインパクトのある「靴紐のない」モデルを発表した。気になるのはその履き心地だけで、すでに色んな選手が履きだしているので、そのうち公式戦とかニュース映像で見れるのかな。フィット感はいいんだろうけど脱げないのかなとか、履きにくいんじゃないか?とか興味は尽きない。何年か前にLOTTOも紐なしスパイク出てるんだけどね・・、それはなかったことになっているのかな。笑

気になるのはプロモーションのやり方。上の動画とかすごい面白いんだけど、こういう動画を使っての話題作りこそNIKEのやり方そのもなので、ここら辺がちょっと残念。

安さの代償

学生時代に何度か夜行バスにお世話になったことがある。快適さや気持ちよさはもちろんなかった。ただただ体を運ばれるだけしか求めていなかったので、そういうものかと思っていたのだが、安全かどうかを気にしたことはなかった。あったとしてもそれは車内でのスリぐらいで、車が事故を起こす可能性があることを想像したことはあまりなかった。貧乏学生であった僕にとって大事なのはチケットの安さだけで、それ以外はどうでも良かったんだよね。おそらくだけど、今も夜行バスに求められるものは変わらないはずで。昔とは違う時代だし、色々と無理があったのかな。

ああいうバスは深夜にでて、向こうに朝一で着くんだよね。朝もやが残る誰もいない町中に放り出されるあの感覚は実に寂しいものだったのだが、今思えば安全に運んでもらっただけでもラッキーだったのかもしれない。

 

大人になる

結局映画館で見れなかった「テッド2」をやっと鑑賞。1程ではないものの、すごく楽しく笑える1本であった。今回はテッドは人間かどうか、というテーマだったので哲学的な内容になるのかと思ったがそんなことはなく、コメディに徹していた感じである。実は「1」はちょっとした深いメッセージを内包していたのでそれもいいかなと思ったけど、今作は普通に楽しめるバランスになっていて、これはこれで正解かな。

この映画でもそうだけど、最近では「大人」の描き方が変わっている気がする。幼稚化しているというか、僕が子供の頃に持っていた大人像というのはもうないんだよね。いい歳になっても自分探しをして自己実現に悩んだり、恋愛で悩んだり、善悪や自分の行動に迷ったりする。いつからそうなったのだろう。

子供の頃に読んだ「星の王子さま」や「トム・ソーヤ」、「ハック・ベリー・フィン」では常に「子供心を失う怖さ」と「大人の怖さ」が描かれていた。大人の描かれ方には、子供の時間の延長上にあるものとは思えないような残酷さと冷たさがあったんだけど、最近の作品にはその大人像はない。誰もが大人になれない時代なのかな、今。そういう僕もこの年になっても「あのユニフォーム」とか「あのスニーカーは」とか、「あの映画は・・」とか言っているぐらいだもんね・・。

変化

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ここ何年かで、ADIDASのスニーカーデザインが変わってきている。クラシカルな定番ものは相変わらずそのまま出つづけているけど、それに加え、今までになかったハイテクデザインや少し変わったものも出ている。足首までカラーをつけたり、ニット素材やワイヤー素材を使うあたりがNIKEを追いかけている感じがしてちょっと残念だけど、NIKEにはないヨーロッパブランドならではの格好良さはあるよね。僕はADIDASは老舗ブランドとしてクラシカルなものを守った方がいい、と思っていたけど昔からのモデルと新しいモデルのすみ分けがハッキリと出来てて、これはこれで良さそうである。僕的にはさすがに買うところまで行くのは難しそうだけど、見てみたいかな・・。

好感度の正体

 今回のレベッカさんの事件で不思議に思ったのは、案外強めに責められていたこと。ことの顛末をきいた感じでは男の方が罪が重そうだし、なによりも彼女には「好感度が高い」という武器がある、と思っていたんだよね。ところがその好感度が仇となったのか、騒ぎはまだ収まりそうにない。こうなると好感度ってなんだ?とちょっと不思議に思うよね。好感度が高ければ少々のことは許される、と思っていたけど実は逆で、その価値観を裏切れば何倍にもなって帰ってくるようだ。こうなると無条件にいいものではなく、逆にもっていると危ない時限爆弾みたいなものに思えてならない。ファンもいればアンチもいる、もはや当たり前だろうけど、どっちが多いのだろうか。きっと、その時の空気感でどっちの声が大きいかだけでの差で、人数の問題ではないんだろうなあ。たかがショウビズの世界で、裏切られても愛す、的なことを求めるのはお角ちがいってことか。怖いのは一夜にして一人の女性の価値が逆転しちゃったことだよね・・。