イメージ

 芸能人のスキャンダルが起きる度に毎回思い出すことがある。それは、あのアムロナミエさんが妊娠結婚を発表したときのこと。当時僕は学生で、その時の外国人の先生が「日本のアイドルは表の顔と裏の顔があまりにも違くて面白い」と言っていたことである。ショウビズってみんなそんなものじゃないの?ってあの時思ったけど、アイドルが「熱愛!」とか「お忍びデート!」とかではなく、一気に「妊娠!」まで段階を飛ばしたわけだから、そりゃあビックリするよね。
 で、今回のレベッカさんのニュースを見て、僕はなんだか安心した。それは、彼女の公的イメージはやはり作ったものであって、本当は普通の人のように心に機微があり、間違えたり踏み外したりすることもある、と確認できたからである。良く考えれば、まじりっけなしの100%の明るさの方が病的というか、明らかにおかしいと思うんだよね。光が強ければ強いほど闇が濃いというか、裏には大きな影があるんじゃないかと思っていたけど、そうでなくて逆に良かった。そりゃあ完璧な人間はいてもいいし、実際そういう人もいると思うけど、それが魅力的かといえば決してそうではない。まあ、でも半年後にはきっと
「あの時は本当にもうダメだと思ったけど、私には支えてくれる人たちがいて。その人たちのおかげで・・(泣)」
みたいないい話を作り上げて語っているに違いない。

恵まれすぎ

 年末前に体調を崩し、かなり心配をかけさせられた先生も大みそかまでには復活し、ずっと行っていなかった実家に行くことができた。待ちわびていた両親は大いに喜び、ずっと買ってあって渡せなかったクリスマスのプレゼントをこれでもか!と持たされてしまった。先生もすでにそれらをバッチリ認識できるぐらいにはなっているから、開けろだの箱から出せだの、アピールがすごかった。最近のおもちゃがすごいのか、昔からそうなのか知らないけど、テンションが上がってしまうぐらいに箱が大きいんだよね。立体的に組み立てるコースで、一番上から備え付けの車(ブーブ)を走らせると、その勢いで一番下まで落ちながら走っていくというオモチャとか、昔こんなのあった?とびっくりするぐらいである。子供時代にこんなのもらってたら、嬉しかっただろうなあ、と思ってしまうんだよね。
 僕の実家や義理の両親のところに行くたびに、新しいおもちゃを持って帰ってくることになる。先生を愛してくれていて、両親も義理の両親も先生を喜ばせたくてプレゼントを買ってくるのは死ぬほど嬉しいけど、こんな子供の頃から色々と揃っているのもどうか、と思ったりする。これが当たり前に育ってしまったら、僕が知らない価値観を持つように至る訳で、それがいいのかどうか、判断できないんだよね。そこはどう教育するのかという問題だろうけど、持たないならではの発想や工夫が生まれることもあるわけで、どっちがいいのだろうかあ・・・。なんて思ったりする。正解はあるのか?これ。両手にオモチャを持ちながら夢中で遊んでいる先生を見ると嬉しいような、複雑な気分になる。