武勇伝

ウメミヤタツオが東映で若手の俳優だった頃の好きな話があって、言ってみればただの武勇伝なんだけど、今の芸能界とあまりにもかけ離れすぎていて面白い。

当時のウメミヤタツオとかヤマシロシンゴたち世代はやりたい放題だったのは有名な話。ヤクザ映画に出るときに演技のプラスになるように普通にヤクザとつるみ、金もうなるほどあって、女もやり放題だった。ありとあらゆる女はやったから終いには飽きてしまい、男も試してみた、という話もある。その中でも、アメリカの女優を呼んで、彼女とやりたいがために「これが日本の濡れ場の撮り方だ!」と言ってカメラの前でやろうとした話がある。

ヤマグチメンバーのニュースの時にこの話を思い出した。すげー話だな、全く規模も違うなあと普通に思うんだけど、時代なのかな、これは。まあ、単純に比較できるものではないんだけどね、でも芸能界ってこういうものじゃなかったのか?とちょっと思ったりする。普通の社会では暮らせないはみ出し者というか、アウトローの集まりでそこに社会的な常識を求めても意味がない、所のはずなんだよね。だからこそ面白いのであり、魅力でもあると思っていたんだけどな。40過ぎてもアイドルとか言っている人に清廉潔白さを求めても意味がないでしょ。

 

メンバー

ジャニーズともなればどんな女でもいけるというイメージがあったんだけど、どうもそう単純なものではなさそうなヤマグチメンバーの今回の事件。酒も大きく絡んでいるようで、一見華やかで力強いイメージの裏には暗く深い、あんまり見たくないものがありそう。

メンバーという呼び方とか、女子高生が夜に来る所とか、酒の問題で入院していたのに退院したその日にヘベレケになっている所とか、実は部屋にもう一人男性がいたという情報もあって、結構な闇がありそうなこの問題。一つ言えるのは、セクハラでクビになった大臣の方がずっと紳士だったってとこだよね。少なくとも向こうは「キスしていい?」って許可を求めていたし、行動には移していない。でも向こうは何もかもを失ったのに、こっちはまだ復帰を待つファンがいるっぽいんだよね笑。どうなってるんだ、世の中。

日本代表への布石か?

天才サッカー少年のクボタケフサ君が、いつの間にかアディダスのスパイクに戻っていた。今年に入ったからNIKEとの契約がニュースになり、実際にずっとハイパーヴェノムをずっと履いていたのだが、4月に入ってから再度ADIDASに戻っている。こうなるとADIDASと契約したと思われ、NIKEとの契約は実際には締結されていなかったのかも知れない。日本サッカーの将来を背負う人物だから取り合いになるのも当然だし、普通の選手よりずっと条件がいいと予想される。気になるのは、日本代表のサプライヤーであるADIDASに落ちついた所である・・。

ハリルホジッチ監督の解任で一瞬だけ話題になったのが、スポンサーの力である。スポンサーの意向が現場まで届いているとか、選手の選考にも絡むとか。こういう話っていつもあるけど、実際に表に証拠が出ることはなく、いつも噂レベルである。でもまあ、そりゃあそうだよね。CM出ている選手や出版物に印刷されている中心人物が実際に選ばれないことには格好がつかないし、投資した金の意味も半減する。今でも代表が集合写真を撮る時はADIDAS契約選手が中心と第一列と決まっていて、それ以外の選手は端に追いやられている。僕がADIDASの社長だったら、2~3人は俺に選ばせろよ、と言うと思うんだよね笑。というわけでの、今回のクボ君の突然のADIDAS契約は日本代表入りへの布石なんじゃないか、と思うのだ。本当にそうだったら恐ろしいけど、ちょっと楽しそうでもある。

上司

セクハラを受けた女性記者の上司が実は女性だったことがとある所でバレてしまった。会見では、特定される可能性があるから性別は発表しない、ということになっていたがtwitterで漏れた。僕はまさか女性であることは全く思ってもいなくて、セクハラにあった女性の苦しみを理解できないおっさんだろうな、と決めつけていたけど全く違くてびっくり。構図からすると、「女性の上司が女性の部下を守ってくれなかった」ってことになってしまって、これっていよいよ絶望的だなあ、と。同じ女性が苦しみをわかってくれないってことは、この問題はやはり「男だからこうだとか、女だからこうだとか」ではなく社会構造的にセクハラが起こりえるってことなんだろね。でもまあ、そりゃそうだよね。世の中すべての男性がセクハラをしないように!と教育、コントロールするのは到底無理なんだから。まだ社会から変えた方が現実的な気がする。

広告

うっかり何かのお店のメールとかLINE広告に登録してしまうと、結構頻繁に来てイライラすることがある。こんな時間に?とか、毎日か?とか、良くもまあ毎回新しい商品を紹介できるもんだ、と驚きである。僕はNIKEに登録していて、新しいスニーカーが発売される1日前と15分前にLINEが来る。来るのは良いんだけど、毎回人気のため抽選になるんだよね。本当に人気商品となる大変な競争になってしまい、ほとんどの人たちが買えないで終わるという状況になることが多い。おそらく皆僕と同じようにメールアドレスを登録していて、同じようにメールをもらって同じように発売日の指定時間にPCの前に座って購入を試みるんだろうけど、ほとんどの人は「在庫がありません」というメッセージを受けることになる。すごい量の広告は来るが、買えない。この状況がいよいよ頭にきてアドレスを外そうとしたんだけど、そうなると情報がもらえずに買うことが出来なくなる笑。全くジレンマだ。

胃カメラ

明日、胃カメラを待つ我が身である。ここの所3年ぐらいかな、毎年受けているけどいまだに慣れず、本当に嫌である。ピロリ菌保持者だった人たちは皆、普通の人よりも胃がんのリスクが何倍もあるとかで、とりあえず5年はやらないといけない。

何が嫌って、嫌本当はすべてが嫌なんだけど、息のしづらさである。僕の中で普通に息が吸えないことに対しての恐怖があるみたいで、ちょっと精神的に辛いんだよね。鼻からカメラを入れる前に、棒を鼻の中に入れて待たされるんだけど、それが嫌なんだよね。狭い部屋で、さらに息苦しい。もう、このまま帰るか!って気になるんだよね。ああ、嫌だな。

漫画に出てくるような

財務次官のセクハラ問題の音声を聞いて、一番最初に思ったのは「こういう漫画に描いたようなおじさんって本当にいるんだ!」ということである。口に「ニヒヒ」といやらしい笑みを浮かべ、女性が嫌がっていることを知りながら、いやもはや嫌がっていることを喜びながら女性が言われて不快感を感じる言葉を並べるあの感じ?もう島耕作シリーズとかにいてもおかしくないよね。

こういう話題になると決まって被害者の人権や、加害者の罪と責任に話の方向が行ってしまい、結局尻すぼみで終わるか、泥試合になってクビにされて飽きられるかになって終わる。本当はなんでそういうことが起きるのかの社会構造を議論するべきなんだろうけど、その先にフェミニズムや話題性が大きくなってしまい、毎回毎回繰りかえすだけなんだよね。なんか、パターン化されていてなんだかなー、という感じである。ああいうおじさんがたくさんいるのは確かに問題だけど、ああいうおじさん達が普通にいられる社会の方が問題なんだよね。

 

ウエストワールド

今アマゾンプライムでウエストワールドを見れるんだよね。子供の頃にユル・ブリンナー主演の「ウエストワールド」を観た人っていると思うけど、あの世界観のドラマである。
ホストと呼ばれるアンドロイド達が再現された西部劇の街並みに暮らし、高額の入場料を払ったゲストたちは、ホストからの報復を恐れることなく自らの欲望のままに行動する。アンドロイド達は人間と見分けがつかないほど高度な技術に基づいて製造され、自意識も持つ。だがゲストが来るたびに記憶はリセットされ、新たなシナリオに基づいて日常を繰り返す。
というのが、一応のあらすじ。いわば大人のディズニーランドみたいなものなんだけど、欲望がままに動く人間たちはことごとくクズになっていく所が面白い。

このドラマはHBO制作で、日本でいう放送コードに縛られないというのが一つの売りで、結構有名な人たちが堂々と素っ裸で出てくるんだよね。情報が広がった頃からここら辺が話題になっていて、日本での放送はどうなるんだ!と思ったけど、バッチリモザイクがかかっていた・・。場面によっては全部がモザイクで何も見えない!というシーンもあるぐらいで、非常に残念であった。

ドラマ的には人間とアンドロイドの差を説く攻殻機動隊的な所もあったり、生命とは何かを問う場面もあって、この先の展開が楽しみだ。

ストリートファッションとヴィトンのアレ

 SUPREMEとヴィトンのコラボを見て、なんだかずっと気に食わない気持ちがあった。誰にも言えずにいたんだけど(笑)、昨日のセビで話すことが出来てやっと自分の中での整理がついた気持ちになった。
 僕がずっと不思議に思っていたのは、ストリートファッションはCHANELやヴィトンと言ったラグジュアリーなブランドに対抗して生まれたものであったという大前提があって、それがラグジュアリーブランドと手を組むということは自分の生い立ちに反している、という感じがしたんだよね。ファッションにおけるカッコいいという基準は自分たちで決める、という勢いというか若さというか、反抗の精神がストリートファッションの礎であって、そこにこそ「格好よさ」があったと思うんだよね。それがハイブランドと手を組んで体制側になってしまっては元も子もないと思うんだよね。
 確かにいまではファッションは変していて、男が女性ものを着たり、女性が男性の服を着たりしてジェンダーレスになっている。大きなサイズのものをダボダボに着る流行で、自分にピッタリなサイズを着るという概念も崩れている。ユニクロの登場でブランドの垣根もなくなっている。そういうことを考える、シュプリームもヴィトンもフラットに並んでいるとも言えるが、「意味」を無くしてはいけないと思うんだよな・・・。

選手と監督

 今回の監督更迭で一番悲しいのは、その関係性である。プロの世界でも、そして代表の場でも「監督のために」と選手たちが一丸になって戦う理想論が僕の中にあって、今回のこの真逆になってしまったことが悲しい。まあ、どちらかだけが悪いってことはないだろうから、両サイドにそれなりの功罪があるんだろうけど、責任を取るのが監督になることは仕方ない。仕方ないけど、やる前からすでにロシアでサクッと三連敗して帰ってくる言い訳が出来すぎていて、なんだかなあって感じである。
 こういう事を考えていたら、この動画のことを思いだした。モウリーニョがインテルを去る時の動画なんだけど、モウリーニョとの別れが悲しく、バスを降りて泣いているマテラッツィの所に、帰る所だったモウリーニョがわざわざ車を停めて歩み寄るんだよね。二人は抱き合い、一言二言を交わして別れるんだけど、二人とも泣いちゃっているんだよね。それでもモウリーニョは分かれを告げ車に乗るんだけど、これを観た時は「これが監督と選手の関係か・・」、「これが男と男の別れか・・」と最高にカッコいいな、と思ったのである。向こうはこんなにカッコいいのに、こっちは別れ際に訴訟かよー、となおさら悲しくなってしまった。