無駄横文字

 義理の父がPCを新調したので、そのセットアップを頼まれる。早速やってきたのだが、完全にオンラインで登録を行いながら行うのが当たり前になっているね。昔はPCをセットアップしてからインターネットの接続を設定するのが普通だったのだが、説明書に「オンライン環境が整ってからセットアップを行うこと」と記載されていてビックリである。すべてオンラインでIDやパスワードを入力しながら、携帯にSNSでワンタイムパスワードを送りながら登録していくんだよね。マイクロソフトはよっぽど違法ソフトとかで困っているのか?
 その中で話題になったのが「アップデート」ってなに?とか「PDF」ってなに?の用語である。更新とか、ファイルの種類ですよとか、その都度日本語で説明するんだけど、「だったら最初からそう書いてくれればいいのに・・」と返ってくるのである。確かにその通りだよなあ、と僕も思ってしまった。普段から使っているだけに気づかないのだが、無題に横文字は多い。便利は便利かもしれないけど、高齢層もPCを当たり前に使う時代が来たら、用語ももっとわかりやすくなってもいいと思うんだよね・・。野球用語を翻訳したみたいに、誰かPC用語をまとめてくれないかな。

The North Face Access Pack

 財布やバッグを新しく買った時、もの入れ替えが楽しいよね。いや、きっとそう楽しくなく、面倒だと思う人もいるか、良く考えたら。僕はバッグや財布そのものが好き、というのもあるんだろうけど、新しく買ったものに整理をしながらものを入れるのは楽しい(はずだ)。
 バッグにも色々あるんだけど、その中でも内側にたくさんのポケットがあって、色んなものを収納できたりするものもある。ほとんどの商品はある程度の自由があるんだけど、その中には
・このポケットはPC
・このポケットは携帯
とある程度決まっているものもあったりする。好き好きだけど、使い方をある程度提案してくるバッグはいいが、あまりにも用途を絞ってくるようなバッグはあまり好きではない。一時期流行った、ノートPCを入れるための甲羅のようなバッグがあったけど、あれはどうだったんだろう。最近全く見かけない。
 そんななか、こんなのが出るらしい。

このサイズ、このデザイン、いいね!なんだかモバイルガジェットに偏りすげている気もするが、このシンプルなデザインが気になる・・。収納場所を特定し過ぎている感じもするが、それでも良さそうだ。日本にはないみたいだから、今年のブラック・フライデーに狙ってみるかな・・・。

新エンブレム

 やっと決まったエンブレムが割りと好きな僕である。右のと左のと、空白中に円を描いたら同じ大きさになるよね、多分。普通に見えてかなり計算されつくしている感じがいいし、色を使い過ぎていない所がいい。そもそも、他のオリンピックのエンブレムだって「・・・」的なものがおおいんだから、これはこれでいいんじゃないか?
世の中ではどうやら不評な感じだけど、手のひら返しが当たり前となっているこの時代だから、
皆大好き→何かあると→手のひら返し
が怖いので、好きな人もいるけど嫌いな人もいる、という構図の方が安全そうだ。というか、そもそも「みんな大好き」より「人それぞれ」の方が自然なんだよね、きっと。手のひら返しにあったレベッカさんもオトタケさんもほかの人もも、皆異常なほど好かれていたことの方が不自然だったのだ、と今になって気づいた。

この一枚

今youtubeで公開されているこの動画が面白い。


歴史的な瞬間の有名な写真を並べて、写真が持つ力を再発見させてくる動画である。天安門事件の時に戦車の前に立つ男の写真とか、ベトナム戦争への抗議運動の時に兵士の銃に花を挿す女性の写真とか、見たことがある写真も多い。
インターネットで画像がすぐに送れる今では想像するのは難しいけど、昔はこういった写真が歴史を変えてきたって聞くよね。情報の伝達がスピーディーでなかった時代において、こういう写真が世界の裏側で起きている事実を知る数少ない手段であったと。そして、それだけにそのインパクトも今の何倍も大きかったと。動画が当たり前になった今、そのインパクトは削がれ、写真の合成や加工が簡単になってから信頼度が下がっているのかなあ。きっとその頃は新聞の一面や雑誌の発売日を心待ちにする文化があったんだろうなあ。そう思うと、リアルタイムで写真のインパクトを味わえた人たちをなんとなく羨ましく思う。

言葉狩り

 ここの所、震災関係の有名人のブログや発言にイチャモンをつけている人が多いらしい。すごい問題あるものだったらいいけど、
「捉え方次第では、傷つく人がいるかも知れない」
程度のものに噛みついているんだよね。
 そもそも不思議なのは、ファン以外の人がその芸能人のブログを見ていること。その人のファンだったら、その人の発言に対し理解を示したり、その人の気持ちを汲んで発言に寄り添えると思うんだけど、そうじゃないって事はわざわざ見に行っているってことになるんだよね。なんか失言ないか?って感じで。興味のない人の文章や発言なんてどうでもいいんだけどね、普通は。それともあれかなあ、そいうバイトでもあるのか?人の評判を落とそうとするような。イチャモンをつける事で救われる被災者はいないし、誰も得しない。芸能人もメディアもそんな書き込みやコメントなんて無視すればいいのに。そもそも名もなき一般人の発言に価値なんてないんだから。
 

あの男が帰ってくる!


傑作なまま終わった数少ないシリーズである「ボーン」シリーズの新作が公開される。すごくいい終わり方だったし、なぜ今更?と不安を覚えているのが正直なところ。予告編をみた感じではアクションがすごく派手になっていることと舞台がアメリカになっている所も心配な所である。ボーンシリーズの成功の要因の一つに、ハリウッドを離れてヨーロッパで撮影をした、というのがある。ハリウッドのシステムやしがらみから逃げるための作戦だったんだよね。それがあの独特な映像とテンポ感、変わった(当時としては)スタイルのアクションを生んでいるんだよね。この予告編をみた限りでは、ボーンシリーズが一番嫌っていた「無意味に派手なアクション」が連発されていて、なんだかなあという感じである。もっと心配なのは、現地の人と殴り合っている所を「彼が必要だ」と探しに行くところが「ランボー2」と全く同じな所である。僕は大好きだけど、ランボー2は底抜けに強いヒーローを流行らした映画として悪名高い。監督は今までも撮っている人だし、今の時代が前よりもずっとボーンシリーズに合っている気もするので、プラスな部分も多いと思うが、さてどうなるやら。色んな意味で楽しみだ。

怪我の回復

怪我と格闘中の先輩と久しぶりに蹴る。まだまだリハビリ中のようだけど、動きは衰えておらず一安心。また真剣勝負の場でユニをまとっている姿を見たい。期待だ。

開幕を一か月後に控えながら、怪我に苦しんでいる仲間が何人もいる。僕も何度も通ってきた道なので、その苦しみは良く分かる。もう蹴れないと医者からハッキリと宣告された足首の怪我、一年半。グロインペイン、半年。細かいけがは別として、長かったこの二つは特に苦しかった。なんとなく孤独だし、「どう?あとどれぐらいかかりそう?」と心配してくれる仲間の声掛けをも苦しく感じる自分がいた。心配はしてほしいが、あまりにも心配されると今度はウザったく感じるあの感じ。精神的にもう普通とは言えない状態だったかも知れない。

自分でそんな気持ちになったものだから、怪我中の仲間にはなるべくそういう言葉はかけないことにしているが、早い回復を願っていることだけはそれとなく伝えたい。戦力としてはもちろんだけど、やっぱり仲間の不在感って、結構大きいんだよね。好きな仲間と一緒に勝利を喜びあったり、負けを悔しがったりする、スポーツを通じて得られるこれ以上の幸福はないのかも知れない。そのためには全員揃っていないとね。

 

さよならNIKE FUEL BAND

Activity_measurement_system_data_tranfer_RGB_150dpi愛用のNIKE FUEL BANDがまた壊れてしまった。今のは二代目。初代が壊れた時、保証内だったこともありNIKEが新品に変えてくれたことをここに書いた。初代が壊れた所と同じなので、構造的にどうしてもその箇所が弱いのだろう。今回は保証期間も過ぎていたこともあり、ちがう商品に目を向けてみた。

色々と調べていると、僕が使っていたNIKE FUEL BANDはいつのまにか機能的には低いものになっていた。今の主流は睡眠の質や、一日の体の活動を記録するものになっていて、かなり機能が増えており、精度も高いとのこと。一日の目標を設定しておけば、その目標を達成するのに必要な運動量や種類まで提案してくれるぐらいに進化していたのである。昨日によって価格も高くなっていてすごい安い簡易的なものと、高機能で高いものと二極化している。

が、問題はデザインなんだよね。高機能になれば、それ相応の部品が必要なわけで本体が大きくなってしまう。時計の様に大きくては意味がない。派手な色遣いや近未来感もいらないし、変な高級感も要らないんだよね。その点、NIKE BANDはLEDさえ点灯させなければただの黒いバンドだったことを思うと、素晴らしいデザイン、ベストなデザインだったんだよね・・。とりあえずこのPOLAR LOOP2にしてみたので、楽しみだ。

前震、本震

なんとも恐ろしい響きである。前震と本震に分けないといけないなんて、本当に怖い。とんでもない地震が来たと思ったら、実はそれは前触れで本当の地震はその後だったという、悪夢のような話である。もっと怖いのは、これからももっと大きいものが起きる可能性があるということだよね。前前震、前震と言葉を変えないといけない、という可能性がある。正確な予測ができない以上、これは1分後、10分後、明日、一か月後、一年後、いつだって可能性がある。いつ来るか分からないものを終始警戒しないといけないなんて、肉体的なものもそうだけど、精神的に拷問みたいなものに違いない。

こういう時に何をすべきか、毎回話題にあがる議題だし自問自答することも多い。色んな人の色んな意見があるし、自分自身でたどり着いた答えもある。良くも悪くも個人にできることは少ないが、皆無ではないはず。

地震

地震に対しての危機感が薄くなっていることを実感。直接的な被害も揺れもないからか、完全な他人事に感じられ、テレビのニュースも対岸の火事に感じている自分がいる。喉元過ぎれば~、じゃないけど危機感を持続させるのは難しい・・。津波もないし、原発も大丈夫っていう話を聞いただけで不謹慎にも「たいしたことないじゃん」って頭に浮かんだけど、そこで暮らしている人たちには一大事である。なんだか反省だ。