幸福の定義

世界一貧しい大統領について、やや懐疑的な僕です。なぜ誰も「貧しいのにそんなに太っているんだ?」と突っ込まないのかが不思議である。まあ、それはいいとして、日本の文化や経済、消費社会についてコメントを頂くのはいいんだけど、人としての幸福を説かれるなんてなんだかおかしい気がする。幸福の在り方には正解はなく、それぞれの幸福の在り方があると思うんだよね。文化、歴史、価値観、みんなそれぞれ歩んできた道で見出した幸福の形があり、それに正解・間違いなんてあるはずない。いくら日本の社会が生き急いでいて、完全な消費社会であったとしても、それに幸福を見出している人たちもいるわけで、それを「おかしい」と誰が言えよう。

もう一つの視点として、持つものが持たざるものを見るときに感じる罪悪感があるよね。僕らが飽食の限りを尽くしている今この瞬間にも、人権も守られずに飢えで死んでいく子供が同時に存在している。この場合は、持つ人は有罪なのだろうか?間違っているのだろうか・・。答えは僕も知らない。恵まれている環境を認識できないことには問題がある気はするが、偉い人の言葉の中に心理を見出してそれで何かを得た気になることも正しくはない気もする・・。なんか、説教されて気持ちよくなっている感じがあって、非常に変な気がするんだよね・・。