使い捨て

 我がiPhoneのスリープボタンが押しても帰ってこないという状態になってしまった。調べてみたら同じ症状になる人は多く、保証期間内であれば即交換となるとの事。自慢じゃないが、携帯電話を二年持たせたことのない僕はバッチリ保険に入っている。それだけでなく、いつ落としてもいい様に頑丈なアルミのバンパーを使っている。もちろん、表も裏もシールで保護している。というわけで、今回ショップに持ち込んだ僕の端末はそのボタンが戻らないだけで、後はすべて新品同様の状態だったんだよね。
ショップに持ち込み症状を話した所、
「あーはいはい、これは交換ですね」
と言われ、直ぐに新しい端末を渡された。空っぽな端末だが、毎日バックアップをとっているので、苦もなく僕の携帯電話は元通りになった。もちろん、新品というのは気持ちがいいし嬉しくもあるけど、それだけの症状なんだから簡単に治せるはずなのである。実際、保障期間が切れた人にたいしてその修理を行っている業者もあり、不可能な作業ではない。iPhoneは24回の分割で買う人がほとんどの高価なものであり、そう簡単に使い捨てに出来るものではないと思うんだけど、きっと
「時間と手間を掛けて修理するより、新しいものと交換したほうが早いし経済的」
という判断なのだろう。客側からすればいい事なんだけど、ものとしての価値はどうなの?とちょっと不思議に思ってしまった。もちろん、修理で待たされるよりは新しいものを出してもらった方が100倍も快適だけど、未だにローンを払っているものを簡単に取り替えられるのも複雑な気分である。
 そもそもiPhoneは電池の交換が出来ないんだよね。つまり、初めから永遠に使えるように作られていないってことである。電子端末を永遠に使うこと自体もちろん無理だけど、(僕でなくても)その思想はなんだかなーとちょっと寂しく思う。どうせなら一生使いたくなるような、使えるようなものを作って欲しいなあと思ったりする。僕はiPhoneが好きだし、現時点ではどの機種よりもバランスが取れている端末だと思うけど、
「これがベストだ」
と思えない理由はここにあるのかも知れない。だからmotorolaやblackberryに惹かれるのかな。