Z

IMG_4258 ブラピの新しい映画のスポットが大量に長されているけど、面白いほどに「ゾンビ」の一言が出ないね。Zは最後とか終焉とかの意味じゃなくて、ゾンビのZなのに、である。CMで流れるのは「家族愛」とか「最後に人は・・」なんてドラマチックな側面を押し出しているけど、どこからどう見ても「アクション・パニック大作」だよね。
まあ、理由は簡単で、ゾンビという言葉を出すと観客が集まらないんだよね。女性はまず行かない。女性が行かないってことは、カップルも行かない。ファミリー層ももちろん駄目。見に行きたい!と前のめりに思ったのは僕みたいな一部のマニアだけだろう。ブラピがすごい金額をかけたゾンビ映画!ってだけでご飯二杯はいけると思うんだけどなあ。

今思えばウィル・スミスの「アイ・アム・ア・レジェンド」もそうだったはず。良くないことだし、なんだか悲しい。CMでやっているのと感じが違う・・・、思っていたものと違う・・・、期待していたものと違う・・・、こういう理由でガッカリする客がいたら映画の責任になりそうで、なんだか変な感じだ。

トゥイッター紹介

 最近、ネットニュースやニュース番組などで一般人のつぶやきを紹介することが流行っているよね。一般人の生の意見を吸い上げたり、リアルタイムっぽさを演出するにはもってこいの道具だと思うけど、紹介されるたびに
「一般人の意見になんの意味があるのだ?」
と思ってしまう。民の意見こそ一番大事で、それこそ国・社会の根幹にあるべきものだから、もちろんどんなえらい政治家の意見より一般人の意見の方が大事だろうけど、それを大っぴらに紹介することに意味があるのだろうか、と見るたびに思う。これはネット上の発言にどれだけ価値があるのか、という問題と同じ。匿名の意見に説得力が生まれないのと同じだ。
 同じように、何か事件が起きたときに一般人の反応を紹介するときに、書き込みを紹介するというのもあるよね。あれも民の意見をすくい上げているつもりなんだろうけど、匿名な意見である限りやはり意味がない気がする。
 今思うと、街角インタビューは顔をさらしているだけあって説得力がある。顔を出して自分の意見を言っているわけだから、ある種の覚悟もありそうだし、何よりただ文章を読ませるより面白いよね。