ミサイル

ちょっと前にふと古い写真を見ていたら、フランスに行った頃の写真が出てきた。懐かしい写真を見ながら、フランス良かったなあ、また行きたいなあなんて考えていたんだけど、良く考えたら当時とは全く違う世相、社会になってしまっている。当時もテロとの戦争は現在進行形ではあったが、それは中東でのことで、一番の心配は「スリ」という、今思えば平和なものだった。あれからパリを含むヨーロッパの主要都市でテロが散発的に起きてきた。自分がヨーロッパに行ってテロに遭遇する確率なんて、事故にあったり犯罪に遭遇する確率とそう変わらないとは思うけど、なんとなくちょっとした恐怖心がある。

ミサイルが日本の空をまた飛ぶかもしれないという事実を目の当たりにして、不思議なことにどこかまだ対岸の火事、どこか違う所で起きている出来事の感じがある。まだ「フランスに行くのはリスクがある」という恐怖心の方が大きい気もする。これがまた2回目、3回目と続けばいよいよかと思うだろうか。でも、自分の日常の中にあのアラートがなったらきっと怖く思うだろうなあ。ここは安全、という場所はあるのだろうか。

自分が住んでいる国でそういう恐怖感を味わうのは不思議で、とても悲しいことである気がする。日本に住んでいるだけで多くのことから守られていたことがいよいよ体感出来てしまうのか・・。戦争地域で暮らさざるを得ない人たちは一体どんな気持ちで明日を待っているんだ?

現状維持だが

水曜日の体育館後、土曜日も蹴った。痛みは相変わらずあるのだが長く続くものはなく、また普段の生活には影響がないので、今のところはコントロール出来ているといえる。無理はまだ禁物だが、このままゆっくりと続けねば。

体が起き始めていることは感じている。心の変化もあるかもしれないが、動ける体というか、運動できる体になってきている。この差は結構大きい。子供のプールに付きそう時、他のお父さんたちの体を見ると、運動をしている人としていない人の差は明らかである。痩せているとか太っているとかではなく、もっと違う「差」である。こいつは太っているけど、体は動かしてるな、とすぐき気づく。躍動感というか、体の動きというか、スタイルやフォルムではない何かである。半年の間に僕も向こう側になっていたわけだ。取り戻さねば。