恐怖の姿

 マンションの同じフロアに住んでいる男に滅多刺しにされ殺された母親。血だらけで泣きじゃくりながら母親の遺体にしがみつく一歳児の姿を思うと、裁判なしの死刑で良いんじゃないか?と思わないこともない。そして、対応も抗うことも出来ない自然の脅威、火山の噴火。我々の存在とはスケールの違う、あまりにも大きな力の前に、いざという時に適切な行動が取れるのか、非常に不安である。地震や噴火が連鎖して起きている「起き続けている」という不気味さもある・・。最近のこの二つのニュースを比較したとき、方向性の全く違うものでありながらも、こんなことが同時に起きる世界のなかで「普通に生きる」ことって、案外難しいんじゃないか?という気がしてくる。というより、「運」なんじゃないかと。自分がいくら気をつけていても、正しく生きたとしても悪意や暴力の矢印がこっちを向いたら、無傷でよけ切ることは難しい。怖いのはそこに「理由」とか「意味」がないんだよね・・。この理解の出来なさ、身構えることが出来ない突然さ、これが恐怖の姿なんだろな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。