ヤジ

 ホワイトハウスのスタッフの奮闘を描く、すごく面白いアメリカのドラマに「ザ・ホワイト・ハウス」というのがあって、男女平等がテーマの回がある。男女平等の法案を通そうと奔走する男性職員がいるのだが、どしても賛成票を投じてくれない女性議員が一人いるのだ。男性職員は、女性である彼女がなぜ賛成票を投じてくれないかをききにいくんだけど、彼女がいうのは
「男女の平等は憲法で定められている」
「男女が平等であることを法律で定めるということは、そもそも男女は平等ではないことを認めることである」
という論理だった。なるほどなあ、それがそうだと法律で定義しないといけないってことそれはそうではないから周知しないといけないことなのかあ、と見ながら思ったものだ。

 今回話題になっている野次のニュースには不思議な違和感があるように感じる。「セクハラ」ということが持つ軽さからかな?この変な感じをちゃんと説明する言葉がないんだけど、これが「差別」という言葉になれば受け止め方が変わる気がする。あのおっさんは最低だしバカだし、あんまりマジで相手にしないほうがいいとも思うけど(笑)、あの女性がカメラの前で「謝罪して欲しい」と発言し、実際おっさんをカメラの前に引っ張り出し謝罪させている姿は、どっちが被害者なのかが分からなくなる・・・。
 これ、彼女のことを完全な被害者扱いにして語らない限り、矛先が自分に向かってくるから怖いよね笑。いつもここで書いている「弱者が一番強い」の一種になってしまっている。ポイントは涙声で会見を続けたことかなあ。あそこで野次に怒ってたほうがなんだか好感が持てた気がする。また、彼女が「美しすぎる~」とか「美人~」とか、議員としての評価以外のところで取り上げられるのもセクハラになるんじゃないか?と言い出す人、いないかなあ。生卵かわいそう。

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