この違い

 ゴシップってすごいな、と再確認している今年。もう1月に何が起きたのかもはや思い出せないぐらいである。本当に話題の事欠かない今年、「民衆」の怖さも目立っている。謝る人を再度断罪し、落ちた人をたたき、つぶれる人の上を歩き回る。右へ左へ、報道のされ方が変わる度にそれに合わせて右へ左へと進路を変え、昨日白かったものが今日黒くなれば、昨日までの白さを忘れ黒さを叩く。この変わり身の早さこそ、一番の怖いところであり、気持ち悪く感じるところである。
 僕が子供の頃も、こういうゴシップって確かにあって、誰が誰とくっついたとか、誰が誰をやっちゃった(下品)とか、今と同じような民衆の下衆な勘繰りってあったけど、今ほどの気持ち悪さはなかった。この気持ち悪さの正体はなんだろう、とずっと考えたんだけど、インターネットの登場が人々の意見を表示させ、まとめやすくなっちゃったのかなあ、なんて思う。まとまっちゃうものだから、その意見の集合体が大きくなっちゃって、まるでその声に価値があるかのような錯覚が生まれてしまう。俺の意見は一人では無意味で力がないけど、こんなにたくさんの人が同じことを考えているんだから、正しいに違いない、謝れ!ってなるんだろうなあ。この「なんとなくこっち側が正義」という感じがこの気持ち悪さの正体なんじゃないかと思う。
 ワイドショーというのは、誰もが「ワイドショーってくだらないよね~」と言いながら、有名人の私生活や手の届かない世界、他人の不幸を覗き見る「あくまでも娯楽」的なものだったはずだけど、いつからか裁判所みたいになっているよね。

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