自分たちで選んだ

 グラミー賞の舞台で、色んなアーティストが反トランプを声高に叫んだらしい。向こうのショウビズ界ではグラミー賞の舞台は一番目立てるし、ある程度の自己主張が許されることもあって、みんなすごい気合を入れるんだよね。前にも書いたけど、セレブにこういうメッセージって意味を感じないんだよね。人口の上位の1%の中に入る人たちの意見なんて、本当に政治を変えたい、変えないと生きていけないと思っている人たちの要望と同じな訳がない。意味がないというとおかしいけど、適切じゃないというか、大きなお世話というか、国民を勝手に代表しているつもりなのか?と、アメリカ人は怒らないのかなあ、という感じがするのである。向こうの空気感はわかないけど、もし僕が明日も食べるものに困っているアメリカ国民だったら、ああいうスターが放つ言葉なんて全く届かないと思うんだよね。
 それとまあ、自分たちで選んでおいて今になって反対するのもいい加減にしてほしいよね。テレビを見るたびに、「こいつ今トランプ反対の旗を振っているけど、実は投票したんじゃないか?」という目で見てしまう自分がいる。そして案外、そういう人も多いんじゃないか?まあ、報道されているものがすべてじゃないし、向こうの空気感はどんなものか知らないけど、「実はトランプを応援しているけど、外には出さない」的な空気の中を今も現在進行形なのかな。

別世界

後期シーズンは週末の度に館山に行っていたこともあって、やっと家族とお出かけ。天気にも恵まれ、鴨川シーワールドに遠征。通う度に近く感じられた館山。鴨川も似たようなもので、慣れとは恐ろしいものだなと、再確認笑。

肝心の鴨川シーワールドはかけた距離と時間に値するもので、非常に満足。特にシャチのショーは感動的ですらあって、二度も見てしまった。動物愛護の観点から見れば色々とあるだろうけど、あれはあれでアリなんじゃないか、と思った。ショーが行われているバックには大海原があって、本来ならシャチたちはあそこで泳いでいるんだよなあ、と向こう側とこっち側の38度線的な断絶を感じたけど、なんていうか、シャチが人間の思い通りに動いていることに対して不自然さは感じられなかった。海も見慣れている東京湾の海とは明らかに違う室のもので、綺麗だった。おすすめです。

sneakers wars

世界で一番高額で取引されているスニーカー「ADIDAS YEZZY BOOST」の新モデル350V2が今日発売される。正確には今日はADIDASの公式発売で、明日以降色々な店舗やオンラインで発売される。もちろん、普通に売るのではなく完全に抽選販売である。なので、発売日というより抽選日の方が正しいのかもれしない。僕もこの戦いに参上し、いくつかのサイトに抽選の申し込みをしたが、今の所なしのつぶてである。さて、どうなるやら。

僕は今までNIKE以外のスニーカーに興味がなかったのだが、ここにきてADIDASのデザインとBOOSTやTUBULARに代表される新しい技術もあって、ついにTUBULARを二足ゲットしてしまった。Y-3のスニーカーを含め、デザインがこの近年ですざましく進歩、ブランドの格差が亡くなったように思う。また、最先端の高機能スニーカー以外にもレトロスニーカーブームに伴い過去の定番モデルも売れに売れている今、まさにスニーカーの戦国時代である。欲しい!と思うもが次から次へと発売されている。困るなあ・・。

時間は平等

本日は我がチームの副キャプテンの誕生日だそうである。選手としても運営者としても今シーズン大きな成長を遂げた一人なんだけど、大台に乗るらしいのである。それを聞いてびっくり。え?まだ20代中盤、いや後半ぐらいじゃないの?確かに出会って一緒にに蹴りだしてから大分時間は経ってはいるが、そこまでとは・・。こっちも歳をとる訳だ。楽しい時間はあっという間だというが、本当にそうである。

いつも思うけど、現在進行形で過ごしているこの時間の中で起きたことや感じた事を総括できる瞬間は来るのだろうか。立ち止まって「あの時はあーだったね、こうだったね」とか。現時点では忘年会とかで一年を振り返ったり、昔話をすることがあるけど、それだって現在進行形の同じ時間のくくりの中でのことだからちょっと違うんだよね。そう思うと、引退して初めてできるということになるのだろうか。それはそれで嫌だなあ。なんとか今過ごしている時間の大事さを意識しながらすごせないものろうかあ・・。かずき、くり、ハッピー・バスデー。

ベッカムやっちゃった

どうやらベッカムが久々にやっちゃったぽい。ベッカムは慈善活動に熱心で、特にユニセフ関係の活動が多いことで有名だったけど、それらすべてが騎士号をもらうための活動だった、という内容のメールが流出したようだ。ベッカムは子供好きで子煩悩なお父さん、というイメージがあっただけに向こうでは大騒ぎになっているみたい。そりゃあ金、名声、ありとあらゆるモノを手に入れたんだから残りは地位ぐらいだもんね。それに躍起になっても不思議ではない。ヨーロッパは日本人の僕らが想像するよりもずっと階級社会で、いくら大金持ちであったとしても称号があるとないで全く違うんだよね。この話題が日本でいまいち大きくならないのにはこういうところが問題なのかな。向こうでは本当におお騒ぎみたいだけど、今後どうなるのだろ。

ベッカム好きの僕としては、そんなことをメールにしてしまうベッカムの詰めの甘さというか、脇の甘さに逆に好感をもっちゃうけどね。らしいな、って感じで。

オールスター

 このチームが生まれた時は、この日を想像していませんでした。当初掲げたコンセプトは常に上を目指すような完全な競技志向のチームとは別のもので、本気でやる気さえあれば誰でも受け入れるという、窓口を限りなく解放するものでした。経験はなくとも、年齢がいくつであろうと、本気でフットサルをしたいと思っている人達がたくさん居るはず、そしてそこにこそやる意味があるんじゃないか、と思ったからです。勝つだけが全てじゃない、上に行くことだけが全てじゃない、「真剣に打ち込める場所こそが大事」というのが代表と僕の間にあった共通の価値観でした。が、もちろん、ボールが転がりだすとなんとしてでも勝ちたいという気持ちが当たり前に生まれ、Weedは常にこの
「下手でも勝ちたい!」
という矛盾の中を手探りで進んできました。当時は上は40代、下は15-6歳のメンバーがいて、皆同じように走る姿をみて、その多様性の中に僕はある種の手応えと確信を得ました。でも、それでも県リーグ参加とか二部昇格とか、そんなことは夢の夢どころか頭の片隅にもありませんでした。
ところが情熱の力には抗えないもので、真剣にやっているだけに戦いの場を常に探していました。そしてそれは市リーグ、県リーグへと移っていきました。その間に色んなメンバーが入ったり出て行ったりするなかでも、最初にたてた理念だけは崩さずにやってきました。僕や代表がチームの牽引から退いた後でも、後輩たちがそれを守ってくれていて、それが昨日の試合に繋がっているのです。
試合後に、これまでチームに在籍してくれた人たちの顔が浮かびました。仕事や進学、家庭の都合で参加できなくなったメンバー、県リーグに参加するにあたって退いたメンバー。そしてその人たちがかけてくれた言葉。間違いなく昨日のあの瞬間はそれらの人たちの存在の上に成り立っており、僕はそれがなによりも嬉しいです。アップ時に古いユニを着て行ったのはそういう思いがあるからで、みんな一緒というか、今までの時間も引き連れて戦ってやろうと思っていたからです。

そして選手たち。何の縁が巡り巡って今の関係に繋がっているのか知る由もないが、そう簡単に得られるものではないこと、そして今後の人生でも幾度となく思い出すであろう瞬間をたくさん作ってくれた仲間である。中学生のころから知っている奴、尊敬すべき先輩たち、頼もしきキャプテン、地道に努力を重ねる奴、チームのために働いてくれる奴。みんな、僕の中のオールスターです。

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大人の呼び捨て

 見城徹と村上龍と坂本龍一が対談しているネット番組があって、これが大変面白い。言っていれば今の日本の音楽と文学と出版の形を作ってきた人たちだから、もう天井人というか、一般人とは違う存在なのである。話の内容は今の日本の社会をどう見ているのかという意味のあるものと、若いころのやんちゃな話のほぼ意味のない話とあるんだけど、どれも面白い。天才同士っぽくぶっ飛んでいるかと思えば、「人のプライバシーの話しはしない方がいい」的な地に足がついたものもあって、「経験は面白いもの」であることが良く分かった。
 いつも思うけど、あれぐらいの年の人たちが喋っている時のため口な感じはいいよね。みんな65歳前後なんだけど、互いを呼び捨てにしているところがすごくカッコよくて、村上龍のことを「龍
」って読んだり、坂本龍一のことを「坂本」って呼んだり。当たり前といえば当たり前なんだけど、普段はみない側面なだけに新鮮に見える。

裁縫

ここで何度か書いていると思うけど、裁縫が割と好きである。上手いとか技術が高いとかいうわけではないけど、子供のころからやっていることもあって、ちょっとした楽しみなんだよね。スタートはおそらく野球をやっていた時のチームソックスの穴をなおそうとしたところかな。そう簡単に変えられないし、そこら変辺には売っていないし。ちょっと直せばすぐに元通りになる所がなんとも楽しかった。 面白かったのは、完全な独学だから自分で工夫しながらやるんだけど、後からその縫い方に名前がついていたとかを知るんだよね。知らない間に自分で技術を開発していた、みたいなことが良くあった笑。
さすがに最近はやる機会が少なくなってたけど、子供が出来るとかなり機械が増えるんだよね。名札をつけたり、穴を補修したり。ただ、自分でやりたいときはいいんだけど、そこに義務感が重なる一機に興味がなくなったりする笑。これは何事も同じか。

応援した奴はどこに行った?

 トランプ氏を当選させたのはアメリカ人の半分(よりちょっと少ない)の国民なんだから、今更何を言っているんだ?とニュースを見ていて思う。まさか、「大領領になればきっと結局は普通になる」と思っていたわけではなかろうに。公約を果たす義務はあるのだし、世界の問題より自国を最初に考えてくるのだから、やっていることは普通なんじゃないか?ただ、それを行っているのは価値観と言葉遣いが変わったおっさんなだけで、それでもそっちで選んだわけだ。どっちかというと迷惑をしているのは日本を含むアメリカの関係国なわけで、いい加減にしてほしいものだ。トランプを支持している50%はどこにいったんだ?それとも反対派の行動の方が報道されているだけか?
 なんか、イメージ的に政治って交渉と妥協の連続で、どこに落としどころを見つけるのかが一番大事、ってイメージがあったけどトランプって全くそういう事をしてなさそう。常に相手のいないゲームをしているみたいで、ちょっと怖いな。