暴力の垂れ流しな感じ?

 一家を殺して放火。
 パーキングエリアでのトラブルでの結果交通事故を誘発し、夫婦が亡くなったニュース。
 豹変するって言葉、ってこういう時に使われるものなのかな。普通の人がある日、その風貌や印象からはまったく想像が付かないことをやらかす、「そんなことをする人には見えなかった」という決まり文句がついてくる、アレである。まあ、この二つのニュースの場合、失礼ながらやらかした人たちの風貌はちょっとアレ、なので驚きには値しないのかも知れないけど、「そいう風に見える」と「そいう事をする」は全く違うもののはず。
 こういうニュースを見ながら僕はいつも「誰にでもそうなる可能性がある」、押しにくさは人それぞれだし、向こうとこっちの間にある谷は果てしなく遠いけど、スイッチは誰でもある、と書いてきた。今でもそう思うし、その中に自分も確実に含まれている、と思うのだが、なんか、凄惨さパワーアップしている気がするんだよね、最近。
 本当の事を調べると、凄惨な殺人事件や人を人とも思わないような犯罪は戦前の方が圧倒的に多く、ちょっと調べるだけで怖くなってくるんだけど、今の時代における怖さは「ニュースとして消費されちゃう」所だよね。次から次へと色んなニュースがあるから一つに集中できないし、一つ見て考えている内にもっとすごいニュースが来るから、もうさっきのものが過去になってしまう。全部観た後で心に残るのはどうしても凄惨な内容のものになってしまうので、その印象が強くなるのかな。なんか、良し悪しだなあ。知っていた方がいいんだろうけど、正直知りたくもないニュースもいいよね。もう、垂れ流しなこの感じ?ってちょっと不安になる。この二つのニュースを前に選挙とか、意味がないように思えてしょうがない。