この世界の片隅に 原作

 映画版の「この世界の片隅に」がまだ心に残っていて、原作であるコミックを買ってしまった。映画版と内容はほぼ同じだが、時間のためか映画ではカットされた所が数か所あり、これはこれで買って良かったと繰り返し読んでいる。コミックを買って気づいたんだけど、映画版には映画ならではの、コミック版にはコミックならではの表現方法がそれぞれにあって「映画として」、「コミックとして」違うメディアでありながらそのメディアの特徴が物語にあっていて、作った人すげーな、と驚くばかりである。
 失ったものを語る物語でもあるから親になった今となっては振り返るのがつらいけど、繰り返し観たり読んだりすると新しく気づくことがある。そして、そのどれにも「歴史に対する責任というか、真摯さ」みたいなものがあるものだから、読んでいるこっちもついつい心の姿勢を正しながら読んでしまう。それだけに辛い場面は本当に辛いんだけどね・・。でも、だからこそ喪失の後に描かれる再生にも大きな説得力があって、それだけで救われる思いである。でも、失うのは怖いな、本当。

持っている男

 なんと、アルゼンチンのW杯出場が奇跡的にも決まった。ずっと勝っていないエクアドルの首都キトで3-1で勝利を飾り、6位から3位に一機に順位をあげ12大会連続17度目の本大会出場を決めた。ハイライトだけ見るとメッシがハットトリックを決めて余裕で勝ち上がった感じに見えるけど、ちゃんと見ると全く違うゲーム展開なんだよね。エクアドルの選手たちの方がキレが良く動けているが、アルゼンチンは相手陣地にボールを運ぶだけで精一杯な感じ。ミスもファウルも多い。相手のスピードについていけず、カードももらっている。全部通しては見ていないけど、そう多くないチャンスの中でキッチリと3本決めちゃう所がさすがメッシ、なんだろな。まあ、これでアルゼンチン人だけでなく、FIFAの関係者も胸を撫でおろしていることだろう。メッシありとなしでのW杯は全く違う大会になるもんね。
 くしくもう試合のちょっと前に、アルゼンチンが本大会で着る予定のシャツのデザインがリークされている。アディダスもこれで安心してその
シャツを大量に作れるってことだ。 

暴力の垂れ流しな感じ?

 一家を殺して放火。
 パーキングエリアでのトラブルでの結果交通事故を誘発し、夫婦が亡くなったニュース。
 豹変するって言葉、ってこういう時に使われるものなのかな。普通の人がある日、その風貌や印象からはまったく想像が付かないことをやらかす、「そんなことをする人には見えなかった」という決まり文句がついてくる、アレである。まあ、この二つのニュースの場合、失礼ながらやらかした人たちの風貌はちょっとアレ、なので驚きには値しないのかも知れないけど、「そいう風に見える」と「そいう事をする」は全く違うもののはず。
 こういうニュースを見ながら僕はいつも「誰にでもそうなる可能性がある」、押しにくさは人それぞれだし、向こうとこっちの間にある谷は果てしなく遠いけど、スイッチは誰でもある、と書いてきた。今でもそう思うし、その中に自分も確実に含まれている、と思うのだが、なんか、凄惨さパワーアップしている気がするんだよね、最近。
 本当の事を調べると、凄惨な殺人事件や人を人とも思わないような犯罪は戦前の方が圧倒的に多く、ちょっと調べるだけで怖くなってくるんだけど、今の時代における怖さは「ニュースとして消費されちゃう」所だよね。次から次へと色んなニュースがあるから一つに集中できないし、一つ見て考えている内にもっとすごいニュースが来るから、もうさっきのものが過去になってしまう。全部観た後で心に残るのはどうしても凄惨な内容のものになってしまうので、その印象が強くなるのかな。なんか、良し悪しだなあ。知っていた方がいいんだろうけど、正直知りたくもないニュースもいいよね。もう、垂れ流しなこの感じ?ってちょっと不安になる。この二つのニュースを前に選挙とか、意味がないように思えてしょうがない。

アルゼンチンがやばい!

ロシアW杯のアルゼンチンの出場が黄色信号状態である。黄色どころか、現在6位で次の最終節で負けたら予選敗退が決定する。5位がオセアニアとのプレーオフに回るから、もう自力ではいけない状態なんだよね。3位から6位が団子状態だから、時節で勝ってなおかつ他のチームが全部負けてくれれば3位の可能性もあるけど時節はアウェイ、高地でのエクアドルである・・・。勝ってさらに運が必要という、かなり厳しい状態である。どの国も羨むメンバーを抱えるチームではあるけど、こういうこともあるのね・・。

個人的にはなんだかんだで行けるんじゃないか、と思っている。というか、アルゼンチンの今までの傾向だと、予選を余裕で通過した時は決まって本選で結果が出てないんだよね。逆に厳しい予選を勝ち抜いた大会では良い所まで行ったりする。ので、最高に厳しい予選を経験している今、本選では良いところまでいくんじゃないか?と期待しているんだよね。もちろん、次勝てればの話だけど・・・。時節が行われる10日が来るのが怖い。

暴力

ラスベガスでの乱射の映像、カタルーニャで警官が一般市民をボッコボコにする映像、ガキが先生を蹴っている映像、どれも見ていてつらい・・。僕は映画におけるセックスシーンと暴力シーンは大好物なのだが、こっちには見ていると気分が落ちてくる何かがある。(先生のは別だけど)暴力がこっちに向かってきたら逃げ切ることはできないであろう、あの感じ?一度矢印がこっちを向いたら無傷では済まされない。逃げても立ち向かっても、こっちもダメージを負う。それが暴力、ってことなのかな。こういう事件が頻発すれが、もしかして映画にR指定があるように、ニュース映像にもいつか規制が入ったりして。

今回の犯人が普通、というより恵まれた白人であるところが怖いよね。イスラム教徒でもなく、社会に不満を持つ黒人でもなく、ナルコなメキシコ人でもなければ変な音楽やゲームに脳を侵された若い子でもない。薬漬けのホワイト・トラッシュでもない。今迄考えられてきた犯人像には当てはまらないところ、が怖い。今後色々とわかってくることもあるかもしれないけど、現時点ではなぜ暴力が発生したのか、そこがわからない所が一番の恐怖ポイントかなあ。

プロの殺し屋たちがラスベガスに集まった殺し合う映画があるんだけど、ガラスを割ってそこから打ち合う似たような映像があってちょっとびっくりである。

この事件を受けてアメリカ人の銃に対する価値観に変化があるかどうか、あちこちで話題になっているけど、まあ変わらないよね。コロンバインの時も何も変わらなったし。犠牲者の数は今回が一番多いらしいけど、学校の中で起こったコロンバインの方が事件のインパクトが強かった気がする。おそらく、あれは銃が悪いんじゃなくて使った人が悪いわけで、銃そのものに罪はない!ってことになるんだろね。銃を規制したら、武器が爆弾やトラックになるわけで、どっちが危ないのかはもはや分からない。こうなると「交通事故の数を考えると自動車の方が危ない」、「ハードロックの方が危ない」、「エロい作品の方が危ない」となっていく。音楽は取り締まるけど銃は取り締まらない、という絶対的価値観があるんだよね。おそらく、このポイントこそがアメリカとそれ以外の国々の価値観のかい離がある場所である。なにせ、憲法の第二条に書いてある国だからね。第一条が信仰・言論・出版の自由で、第二が銃の所持だから、もうそいうものだ、とこっちが諦めるしかないのかな・・。

子供用のyeezy

 子供用の靴ってかわいい。千葉駅にオープンしたATMOSは子供用のシューズをたくさんそろえているんだよね。小さな可愛いものが並んでいるのは見ているだけで楽しくて、大人用の品ぞろえが一般的なこともあって、ついつい眺めちゃうんだよね。小さいPUMP FURYとかAir Jordanとか、小さいというだけで特別感があって楽しい。

で、写真のADIDAS YEEZY子供用を発見して買ってしまったんだよね。大喜びで家に持って帰って早速履かせたんだけど、感想は「履きやすいね」の一言だけでどうやら盛り上がっているの僕だけのようで・・・。このYEEZYは本当に良く出来ていて、大人用のシューズと全く同じ作りになっている。素材もパーツも全部同じである。子供用のシューズともなると色んな所を簡略したら省くものが多いけど、さすがにすべてが全く同じである。子供用の白いシューズなんて、一番無用な、ある中で一番選ばないカラーリングだけど、可愛いんだよね笑。汚さない履き方をしてほしい・・、けど無理か。