罪はどこにあるのか。

 薬物所持での逮捕を受け、CDの回収が始まっているらしいね。よっぽど大きな店舗じゃない限りはベストぐらいしか置いてないだろうけど、それでも売る側からすれば大きな痛手である。はたして回収の意味、必要性はあるのだろうか。
 朝の番組で、今回のことをスポーツ選手と薬物の関係に例えたコメンテーターがいた。ドーピングで生まれた記録が取り消しになるのと同じで、もし飛鳥が本当に薬物を摂取して曲を作ったのなら、その曲の価値がなくなる、と言っていたのだが、僕は全くそうは思えない。たとえ最高にキマったラリパッパ状態で作った曲であったとしても、それは立派な作品であり商品であると思う。普通ではない、どこからかはみ出ているからこそ価値があるのに、と思うんだけどね。でも、そこには倫理や社会的影響という最大の敵が立ちふさがっている。勝負にはならないのかあ。
 「ヤーヤーヤー」の「今からソイツを殴りに行こうか」という歌詞の衝撃は大きかったよね。飛鳥の歌詞は特別で、それこそ「ガラスの十代」の「しゃかりきコロンブス」というフレーズがもう天才的で、どの曲にもパンチラインがある。僕が好きなのは多分誰も知らない「今夜ちょっとさ」というアルバム曲のフレーズで、

人が言うほどは 僕は不器用じゃなくて
ほんのタイミングねらって君の膝の上
離れて暮らすのは もう不自然じゃないか
ほんのタイミングねらってずっと僕のもの

という、飛鳥にしては珍しく抽象的な表現の少ない、ストレートな歌詞である。なんとなく可愛いらしいんだよね。ほかにも
「はじまりはいつも雨」の「星をよけて~」

「YAH YAH YAH」の
生きることは哀しいかい 信じる言葉はないかい
わずかな力が沈まぬ限り 涙はいつも振り切れる
とか、いい歌詞すごく多いんだよね。これらの全てが無価値になるなんて、やっぱり思えない・・。