人選

割りと話題になっているハリルホジッチ監督の解任。昨日の会見ではやはり選手と監督の間の溝があったことが名言され、やはりか、という感じであった。ちょっと不思議に思うのは、次の監督になったのが西野さん。それまで監督の人選を決める権利のある技術委員長だったんだよね?つまり、監督を選ぶ権利のある人が自分の部下を切って自分が監督をするってことになるのである。実際にハリルを連れてきたのは西野さんの前任者だから西野さんに責任がある訳じゃないけど、ウクライナで負けた直後に「ハリル続投」って言っていただけにちょっとした気持ち悪さが残る。一説には手倉森さんにオファーが行ったが、コーチだった自分が監督になるのは筋が通らないということで断った、という未確認情報もあるけど、どうなのだろうか。もうあれかな、もうコマがなくてそうせざるを得なかったのかな・・。これってジリ貧ってやつか?

でもまあ、二カ月しかないんだから、もう戦術とかは関係なくて、とにかく皆をまとめて一つの方向に向けて、盛り上げられる人が必要なんだよね。西野さんはそういうキャラなのかな。

監督解任

実は前から進んでいて発表が今になったのか、それとも本当に突然なのかが分からないハリルホジッチ監督の解任。サッカーの監督解任なんて日常茶飯事のことだから、サッカー好きな人はそんなに驚ていないだろうけど、このタイミング!ってところが引っ掛かるよね。アジアの外ではなかなか勝てないことはいつものことだし、日本代表の実力派強くもなく弱くもなっていないだろうから、多分言われている「結果での評価」での解任じゃないと思うんだよね・・・。邪推だけど、チームをまとめことが出来なくてチームが空中分解しているとか、選出との間の信頼関係が破綻しているとか、そっち系の問題じゃないのかなあ。

上手い奴らを上から順番に集めても勝てないのはスポーツあるあるで、それは代表のレベルでも同じだろう。優れた戦術を持っている監督より、選手たちをまとめて一つの目標に向かってベクトルを合わせられる監督の方がいいんだろね、こういう時は。

伝統か命か

この問題、ちょっと面白いよね。個人的には相撲協会はプロレス団体とそう変わらない印象だから、そこの伝統をまるで「日本国の伝統」とされると何だか違う気がする。なので、この問題は「命vs伝統」ではなく「命vs相撲協会の伝統」となるわけで、今論争になっている問題はかなりズレている気がする。命を優先しない伝統なんて意味ないし、そもそも命あっての伝統の引継ぎなんだから、考えるまでもない問題である。伝統とか文化とか歴史とか、大きい問題になっているけど焦った若造ががマニュアルにそってつい口走ってしまっただけの問題で、そこに文化とか思想とか伝統とか、何にもない気もする。

ただ、矛盾するかもしれないけど、「命より重い伝統はある」と言えないこの風潮は不自然な気もする。今のこの空気の中で「いやいや、伝統の方が大事でしょ」といった日には社会的に抹殺にされるリスクがあるので誰もそう発言しないが、命より大事ななにかはあるんじゃないか?とも思ったりするんだよね。今回の場合はさすがそんなことはないが、文化とか国家とかがそれに当てはまるかはわからないけど、誰かの命より、僕らの命より大事なものはあるんじゃないか?と思うんだよね・・。

それにしても走って助けに行くあの女の人たち、最高にカッコいい。ただ突っ立って見ているだけの男たちの情けない姿と言ったら・・。

釣り


本当に時々だけど、近場の花見川に釣りに行く。父の趣味が釣りで、子供の頃に良く行ったから今でも好きで、糸を垂らしながらずっと引きをまっているだけで落ち着くというか、リラックスできる。ただ、先生を連れていくと大変だったりする。釣りって子供に向いてないなあ、と行く度に思うんだよね。やりたがるのはいいんだけど、糸を垂らした瞬間に
「パパ釣れない~!」
「まだ?」
「魚さん寝てるの?」
「魚いないんじゃない?」
と、始まって一分のうちにここまで来るんだよね笑。本人の認識的には糸を垂らした瞬間に釣れるものだと思っているらしく、毎回そうなるんだよね。もちろんすぐには釣れないから、すぐに集中力を無くしそうそうに帰ることになるのである・・。しかも毎回笑

エイプリルフール

そういえば今年は日曜日だったこともあって、エイプリルフールが盛り上がらなかった。いつもだったら色んな企業や個人が気の利いたものからどう考えても面白くないような嘘を並べていたんだけど、今年は大人しかった。理由はきっとたくさんあるんだろうけど、実は誰も求めていなかった、というのが一番大きいのかも知れない。外から入ってきても、根付く風習と根付かない風習があるけど、その境目はどうなのだろう。エイプリルフールは商売にもならないから、やはりダメなのかな。それとも、日本の場合は「ジョーク」というか、「お笑い」というものが発達しすぎていて、人を笑わせるための敷居が高い気もするんだよね。日本におけるユーモアは多様で複雑で、簡単なものではないのが一番大きい気がする。

怖い瞬間

いつも思うんだけど、夜走るのは割とリスクのあることなんだよな、と。誰もいない真っ暗な道を走るのは時々怖くもあり、今ここで暴行をしようとしている人がいたら防ぐのは難しいなあ、という思いが頭をよぎったりする。終盤ともなれば結構疲れているので、抵抗がしづらいし逃げ切れなそう、というのもある。

人がいなかったらいないでちょっと怖かったりするんだけど、いたらいたらですれ違う時の距離感に気を使ったりする。歩いている人が女性だと不審がられないように出来るだけ遠くを通ったりするので、余計疲れたりする。まあ、こういうのはいいんだけど、怖いのは心霊的な奴である。僕はそっち方面の才能が全くないみたいだから今までに恐怖を感じたことはないけど、つい最近ちょっとこれは・・、という瞬間があった。

走る距離が短くならないように(さぼらないように)毎回決まったコースを知るんだけど、その終盤ぐらいの所で角を曲がった所の10-15メートル先に若い女性が立っていた。その女性は両腕を前にいっぱいに突き出して、本を持っている。暗いし、何よりも体から一番遠いところで持っているから、読めているのかなあ?と思いながら、例のごとく距離を開けて通ろうとしたら、その人も歩いているんだよね。歩いてはいるんだけど、前に進んでなくて、よくよくみたら後ろに進んでいた。「後ろ歩き」をしていたのである。夜にキョンシーみたいに腕を伸ばして後ろ歩き?!その瞬間、「ついに来たか!これがこの世のものではない何かとのファースト・コンタクトか!」「夜に後ろ歩きってそれなりの悪い意味がありそう」と思ったけど、僕はもう進むしかない・・。ここはもう、まるで見えていないかのようにそーっと通り過ぎよう、と覚悟を決めて進んだ。何事もないかのよう走りすぎようとしたら、横を通る時にどうしても気になってふと見てしまったんだよね。顔を見てみたんだけど、普通の中学生ぐらいの女性で、向こうは向こうで非常にバツの悪い顔をしていて「こんな姿誰にも見てほしくなかった・・」という表情だったのである。多分何かのトレーニングか練習をしていた中学生の女の子だったんだろうな。途端に足取りが軽くなり、いいペースで走れた夜であった。