ネタバレ

芸能人関係のリークを行うのは誰なのか、気になる。
ここ数日、すまっぷ関連のニュースが次々と発表されている。リンク先は見ていないのに、ニュースの見出しを目にしているだけですでにこの問題を追いかけている気分になれているから不思議である。ニュースのタイトルを読むだけで事件ってだいたい把握できるのね。あまりにも見事な小出しだから、まるでちょっとずつストーリーを噛み砕いて一話ずつ与えられているような、そんな気分である。
レベッカさんのラインログを晒した人もそうだし、すまっぷの事の顛末をリークしている人もそうだし、そういう人は本当に存在するのだろうか?僕がよくきくリークといえばユニやシューズのデザイン、携帯電話のデザイン、映画関連とかだけど、これらは俗に言う「中の人」の仕業で、中にはマーケティングの手段としか思えないものもあったりする。その裏には必ず誰かの利益があるわけで、意味あっての情報流出なのである。ということは今回もいい目にあっている人がいるってことなのかなあ。

荒れる成人式

 暴れる原因はカメラがあるからじゃないか?と毎年これ系統のニュースを見て思う。目立ちたい人に舞台とツールを与えればそうなるのは当たり前な気がするが、もう大人になったのなら大人と同じ法律で裁けばいいんじゃないか?と思うんだよね。ニュースを見ていると名前も出ないし顔にもモザイクがかかっているから、決められた自主規制のラインがあるのかな。一年目だけは見逃してあげる、みたいな。でも、本人が目立ちたいと言っているのだからそのまま報道してあげればいいのに、と思う。
 海外の卒業式とかを見るともっと「パーティー!」みたいな感じがするから、ここは「式」ではなく「お祭り」にした方がいいのかも知れない笑。「どうそ、楽しんでくださいー!」といえば、そういう人たちは逆にそういうことをしなくなるのかも知れない。

虐待関係のニュース

 昨日子供を「子供の王国」的なところに連れて行った。どうやらまだ早すぎたみたいで、見るもの見るものに対しビビってしまって、ほぼ何にも乗らずに帰ってきた。大好きなトーマスの乗り物でも泣き出してしまうぐらいで、気持ちが急ぎすぎたと反省である笑。天気こそそこまで良くはなかったものの、休日の午後にたくさんの子供たちが無邪気に遊んでいるのを見て、こういう風景が見れる場所は世界にどれだけあるのだろう、なんて思ってしまった。これはラッキーにもこの国に生まれた子たちが享受できる特権で、決して普通のことではないんだよな、なんて考えていた。少し前の移民の子が溺死しちゃった写真が話題になったじゃない?あれを見て、何が子供たちの命、生活のありようを分けているか、ちょっと考えちゃったんだよね。運といってしまえばそれまでなんだけど、先生に物心がつき、自分と他の子たちとの境遇の違いを理解できるようになった時に、なんて説明すればいいのだろう、と答えが見つからずにいるんだよね・・・。
 帰りながら、昼のニュースで子供を虐待死させた内縁の関係の男女の事をやっていた。良く考えたら国内でもこういうことがありえるわけで、報道されている以外にも星の数ほどいるに違いない。遠いどこかの出来事に思えるけど、子供をもつすべての親の立ち位置と陸続きであることは間違いない。大きな問題は置いていて、ひとまずは自分にできることをやるって事が答えなのかなあ。

成長は一瞬?

 うちの先生の洋服の80%はお下がり、15%は貰い物で残りの5%ぐらいは僕らが買ったものである。本当にたくさん頂いたので、今でも「この服初めて見た」というのが出てきたりする。本当に助かっているんだよね。なので、そもそも買う必要がほぼなないのだが、それでも時々「あ、これいい!」と思う洋服を見つけたりすることがある。思ったより安くない、ということはもう子供服のあるあるだけど、それよりも「いつまで着れるのだろうか?」という問題が大きかったりする。それなりの値段をするものだから、来年は着れるかなあ、なんて計算してしまうんだよね。
 今日、すごいカッコいいnorth faceの明細柄フリースがあって、子供の気持ちそっちのけでどうしても欲しくなってしまった。が、ベストなサイズの判断がつかなく結局買わずに帰った。冬しか着れないものだし、どのサイズを買えば今年と来年の冬は着れるだろうか、なんて考えているうちにやめてしまった。子供優先ではなく、親の気持ちを操作されている時点で店側の思うツボなんだろうけど、みんなどうしているのだろ。

ペア解消

 洗濯物担当の僕である。家を出てからはもちろん自分で洗濯物をするようになり、いつの間にか干し方やたたみ方に自分なりのこだわりが生まれた。なので、選択は嫌いではない。そりゃもう嫌だ!と思うことはあるが、中途半端にやるぐらいだったら、ちゃんとやった方がいい、と思える家事の一つである。子供が生まれたからは洗濯物が何倍にも増えているが、それでもなんとかやっている。
 昔から不思議だったのだが、なんでソックスって一つだけなくなっていくのだろう。家にいたころは親に洗濯をしてもらっていたこともあって、文句の言える立場ではなかったのだが、いつも「なんで無くなるの?」と半分怒り気味におもっいた笑。そして今、自分で洗濯物をするようになった今、同じことを繰り返している自分に気づく。この負の連鎖、どうにかならないものか?

イメージ

 芸能人のスキャンダルが起きる度に毎回思い出すことがある。それは、あのアムロナミエさんが妊娠結婚を発表したときのこと。当時僕は学生で、その時の外国人の先生が「日本のアイドルは表の顔と裏の顔があまりにも違くて面白い」と言っていたことである。ショウビズってみんなそんなものじゃないの?ってあの時思ったけど、アイドルが「熱愛!」とか「お忍びデート!」とかではなく、一気に「妊娠!」まで段階を飛ばしたわけだから、そりゃあビックリするよね。
 で、今回のレベッカさんのニュースを見て、僕はなんだか安心した。それは、彼女の公的イメージはやはり作ったものであって、本当は普通の人のように心に機微があり、間違えたり踏み外したりすることもある、と確認できたからである。良く考えれば、まじりっけなしの100%の明るさの方が病的というか、明らかにおかしいと思うんだよね。光が強ければ強いほど闇が濃いというか、裏には大きな影があるんじゃないかと思っていたけど、そうでなくて逆に良かった。そりゃあ完璧な人間はいてもいいし、実際そういう人もいると思うけど、それが魅力的かといえば決してそうではない。まあ、でも半年後にはきっと
「あの時は本当にもうダメだと思ったけど、私には支えてくれる人たちがいて。その人たちのおかげで・・(泣)」
みたいないい話を作り上げて語っているに違いない。

恵まれすぎ

 年末前に体調を崩し、かなり心配をかけさせられた先生も大みそかまでには復活し、ずっと行っていなかった実家に行くことができた。待ちわびていた両親は大いに喜び、ずっと買ってあって渡せなかったクリスマスのプレゼントをこれでもか!と持たされてしまった。先生もすでにそれらをバッチリ認識できるぐらいにはなっているから、開けろだの箱から出せだの、アピールがすごかった。最近のおもちゃがすごいのか、昔からそうなのか知らないけど、テンションが上がってしまうぐらいに箱が大きいんだよね。立体的に組み立てるコースで、一番上から備え付けの車(ブーブ)を走らせると、その勢いで一番下まで落ちながら走っていくというオモチャとか、昔こんなのあった?とびっくりするぐらいである。子供時代にこんなのもらってたら、嬉しかっただろうなあ、と思ってしまうんだよね。
 僕の実家や義理の両親のところに行くたびに、新しいおもちゃを持って帰ってくることになる。先生を愛してくれていて、両親も義理の両親も先生を喜ばせたくてプレゼントを買ってくるのは死ぬほど嬉しいけど、こんな子供の頃から色々と揃っているのもどうか、と思ったりする。これが当たり前に育ってしまったら、僕が知らない価値観を持つように至る訳で、それがいいのかどうか、判断できないんだよね。そこはどう教育するのかという問題だろうけど、持たないならではの発想や工夫が生まれることもあるわけで、どっちがいいのだろうかあ・・・。なんて思ったりする。正解はあるのか?これ。両手にオモチャを持ちながら夢中で遊んでいる先生を見ると嬉しいような、複雑な気分になる。

探しても探しても

年末に久しぶりに「宝を掘り当てる」系の番組をやっていたね。僕はそれ系の番組が好きで、UMAを追いかけたり、埋蔵金を探したりする様子をドキドキしながら見ていたのを思い出す。最後には何もみつからないことは全然承知の上なんだけど、それでも惹かれる何かがあったなあ。なので、2時間ずっとまじめに見ていた気がする。煽りに煽った演出、引っ張りに引っ張った展開、結局何もみつからない展開は毎回同じだったけど、それでも楽しませてくれる何があった。ああいう番組、少ないよね、今。

少なくなった理由を探ってみたらところ、どうやら「最後に何も見つからない事を知っていながらああいう風に期待させるのはおかしい」というクレームが原因なのだそうな。随分まじめな視聴者だな、本当に信じていたんだ、間違いなくこいつの方が僕より楽しんでいると思うと羨ましい気もするが、なんとも嫌な世の中である。逆に増えたのが「衝撃映像100連発!」みたいな番組で、あの中に昔だったら2時間は引っ張れそうなUMAネタやUFO、怪奇現象ネタがあったりする。こっちは一瞬で流れてしまい、忘れられるものだからクレームもなにもあったりしない。いい大人が伝説や噂話に大真面目に取り組んで、真剣に変なことに打ち込んでいるあの変な「無駄な感じ」が良かったんだけどなあ・・。

平常運転

休みが永遠に続けばいつかは飽きる、という人がいるが、自慢じゃないが僕は飽きない自信がある笑。いつでも時間が足りないし、子供がいる今ではなおさらだよね。多くの人も同じじゃないかな。

今日から社会復帰である。もう少し休みたい気持ちはもちろんあるのだが、これはこれで悪くはない、と思っている自分もいる。特別な時間もいいが、やはり日常は日常で悪くはないよね。嬉しいことも嫌なこともあるのは同じだし、どっちも大変は大変である。結局はバランスなのかな。

とはいえ、休みが終わる度にあれを観ておけばよかった、あそこに行っておけば良かった、とちょっとした後悔が残るのも事実。きっと暇だろうが忙しかろうが、時間の使い方にはうまい下手があって、忙しくても使い方がうまい人はちゃんとやりたい事をやっているんだよね。

あけましておめでとうございます。

IMG_7052 皆さま、あけましておめでとうございます。また一年、お世話になります!

もはや定型形の決まり文句で味気ない挨拶だけど、歳を重ねてきたからか、本当に気持ちを込めている自分に気づく。自然に言葉に気持ちを込められる、それが大人ってやつかもしれない。

先生が生まれてからは時間の流れに新しい意味が生まれ、今まで僕が過ごしてきた時間とはまた違う時間を過ごしている。しかし今ではその新しい時間が当たり前となっていて、なんていうか、変化は一瞬だけであり、時間は変わらずに継続して流れるものらしい。2016年も一瞬のうちに過ぎ去っていくのだろう。願わくはこの一年が僕の好きな人たちにとって、人生の中の一瞬だったとしても、いい思い出の多い実りある一年になることを願っています。 img_0153.jpeg