海街diary

 ちょっと前に見た「海街diary」が最高に良かった。特にこれと言った出来事がある訳でもなく、大きな山場やメッセージがあるわけでもないけど、映画全体を包む雰囲気がとても良かった。そもそもあんな美人な4姉妹が鎌倉の古民家に住んでいること自体、ファンタジーみたいなものなんだけどね。
 古い家もそうだし、3世代が作ってきた梅酒もそうだし、古いものと新しいものの繋がりを示すものが多いのがこの映画の面白い所。古いものも新しいものも、すべては大きな流れの中の一つであって、互いに繋がっている。人の一生は何度も出てくる「味の薄い浅漬け」と同じで、長い時間の中では薄く感じられるかもしれないけど、それはそれで愛おしいものなんだよね。漫画が読みたくなってきた。

4日で結果

 人を殺した存在に更正が可能かどうか、僕は良く分からない。そして、更正の確率が時間によって左右されるかどうかもわからない。「12年ではだめだけど15年なら大丈夫」とは思えないし、15年かけてもダメなものは未来永劫無理なんじゃないか、と思う。もし僕が殺された子の親だったらできるだけ短い刑にしてもらって、出てきた所を襲うよね、きっと。これだって人間として最低なんだけどね。
 僕が気になるのは、4日間という審議期間である。どう考えても短い気がする。それだけの時間で加害者がなんでそうなったのか、その行為に至るようになったのか、そしてそれに値する罰を見極められるとは到底思えない。今回の量刑には加害者が親から受けた教育が一つの指針になっているみたいだけど、それを4日で解明できたのか?と不思議に思う。無意味に長い裁判は被害者側の遺族にとっても良くはないが、こんなにさっさと追われせるべき事件なのだろうか。

手の平返し

 今回のキヨハラの事件で、これはどうなの?と思ったのは、逮捕される前の映像がたくさんあったってことである。逮捕される前からずっと追いかけ隠し撮りをしていたわけで、おそらくインサイダーで「逮捕が近い」的な内容の情報が流れていたと思わざるを得ない。かなり前のものとされる映像もあるから、「犯人」になる前からずっと追いかけていたことになる。これは個人情報的にどうなの?と思うんだよね。逮捕されたから皆気にしないけど、これが普通の一般人だったら完璧な盗撮であり、どっちが犯罪者だかわからない。キヨハラの罪はわかるが、これらの映像を撮った奴らはクリーンなのか?と思うよね。これだけでなく、何か事件がある度に加害者、時によっては被害者の昔の映像や写真が出たりする。一度事件の当事者となれば人権はどこへやら、人々の興味が優先されたりする。怖い。

連勝

やはり連勝は気持ちいい。最近はほとんど味わえてなかったからか、やはり特別な感じがある。

活動形態や人数の減少など、今シーズンは色んな不安を抱えてのスタートだったが、ここに来てその時踏ん張った結果が出てきている気もする。試合の中でも、練習だけではたどり着けない相互理解を感じることがある。時間をかけて一緒に蹴ってきた仲間だからこそ出来るプレイが生まれることがあり、なんていうか、そういうプレイこそがアマチュアである僕らが感じられる一つの喜びなんだよね。時間はかかったがここまで来たか、と素直に嬉しい。

カラーソール

 この前行われたフットサル日本代表VSコロンビア代表の試合、コロンビア代表のNIKE率が高くてビックリであった。NIKEの中でもMAGISTAが多かったかな。面白かったのは、一人として飴色ソールの選手がいなかったことで、国際試合におけるレギュレーションはどうなっているんだ?と不思議である。
 ソールの色は飴色か白でないといけない、というルールは施設を守るための気遣いなんだろうけど、ノンマーキングソールである時点で色にこだわる意味はあるのか?と不思議に思う。そりゃあ日本の方が施設の管理はしっかりしているだろうし、その分厳しいルールがあるんだろうけど、そろそろこのルールを変えてもいいんじゃない?と思うんだよね。
 同じ体育館競技としてバスケットがあると思うけど、バスケットシューズのカラーソールが規制されているところはほぼないようだ。ソールはカラフルなものが多いのに、当たり前に使われている。バスケットシューズだけは飴色規制なしではスジが通らないというか、変な気がするんだよね。これはもう慣例を守っているだけのことなんだよね、きっと。まあ、残念ながらこういう「慣例を守っている」ものほど変えにくいというか、議題にすらあげられないものが多いから、まだまだ先の話かなあ。

没落

 キヨハラのニュース、中牧昭二の暴露本を思い出す。あの本を読んだ後はプロ野球はなんて汚いところで、クワタはなんて悪い奴なんだ、というイメージ持ったのを覚えている。今となってはクワタはご意見番みたいな存在になっていて、キヨハラとのコントラストはあまりにも強い。
有名人って、自分の存在に対し、どこまでの責任があるのだろうか。レベッカさんの件もそうだけど、一般人で迷惑を被った人は少ないだろうし、ほとんどの人が無関係である。彼らがどうなっても関係ないし、どうこうも言う権利がない。それでも一般人への影響がニュースになり、意味もなく続報が消費される。仕事関係での迷惑、友情の裏切り、家族への裏切りは死ぬほど罪の重いものだが、応援していた、好きだった、憧れていた、と言ってくる対象に対しどれぐらいの責任があるのだろうか。
 キヨハラさんの場合は法を犯しているという点が重い。が、社会的な責任を全うし、それを償ったとしてもきっと一生許されることはない。スポーツ選手の場合は「子供の夢」みたいな曖昧な感情論も出てくるのでいよいよ大変だ。もともと良いとは言えなかったイメージもこれでは回復はないだろうし・・。暴露本出されなくても自分から落ちていくんだもんなあ。

アウトドアブランド

 名称未設定-1MAN UがアウトドアブランドのCOLUMBIAと契約をしたようだ。どういった内容の契約なのか、非常に気になる所である。ウェアに関してはすでにADIDASと超大型の契約をしているから、選手が着るようなウェアである可能性は低いかな。練習着やベンチコートもADIDASであり、異業種でも他ブランドとの共存をADIDASが許すわけがない。となると、アウトドア用品にMAN Uのエンブレムつけて売るぐらい、しかできないのかなあ。アウトドアウェアをファッションとして着るのはもはや当たり前になっているけど、ファッションにうるさい人がエンブレム入りのものを選ぶとは思えないし、COLUMBIAって割と本気で山登りをする人たちがチョイスするブランドというイメージがある。そういう人たちもただエンブレムが入っただけのマウンテパーカを選ぶとは思えないんだよね・・。こうなったらライバルMAN CにはぜひともNORTH FACEと契約してもらって、アウトドアブランド界でもNIKEvsADIDASみたいな構図を作ってほしい。

軽さ

 モコモコしている姿が嫌で、ずっとダウンジャケットを敬遠してきた。最後に着たのは高校生の頃ぐらいかな。それ以降は選択肢がたくさんあり、なおかつ自分の主趣味が整ってきたこともあって、一枚も買っていない。アウターが好きで、それこ一週間じゃたりないぐらいに持ってはいるんだけど、ダウンは一枚もない。
 今年に入って、NIKE ACGのダウンをゲットしてしまった。今のダウンはシルエットも変わっていて、そんなに膨らんでない。アウトドア商品の流行に伴い洗練もされているので、ついつい欲しくなったんだよね。で、久しぶりに着てみたんだけど、ビックリするぐらいに軽かった。それはもう、感動的なぐらいに軽さであった笑。それでいて暖かい。素材というか、技術の進歩はすごいなあ、と。そして気付いたんだけど、ファッションにおいて「軽さ」も大事な一つの要素なんだな、ということである。それは軽やかに見えるとか、さわやかに見える軽さではなく、物体としての重量のことである。
 そういえばARCTERYXのARROW22を買ったときもあまりの軽さに「軽さもデザイン一部」なんだな、と思ったけどあれはバッグのことで、素材以外にも重さがかかる所をずらす「重さを感じさせない」というノウハウがあるから可能なんだ、と思ったんだよね。アウターでもそれが可能だなんて、恐ろしや技術・・。