トイストーリー

昨日は「1」をやっていたと思ったら、今日は「2」が放送されたトイ・ストーリー。続けて観ると、いかにCG技術が進歩していたのかが分かって違う意味で面白かった。初めて「1」を観た時は、なんてリアルだ!と思ったけど、「2」を観た後では、「1」は凄く程度の低い映像に思える。少し前に「モンスターズ~」を観たときはこれぐらいのリアルは当たり前か~、なんてあんまり考えなかったけど、長い歴史のなかでの進歩だったのか。まあ、映像に関係なくストーリーはいつだって高純度のデキで、笑いあり涙ありの安心保証付きな感じ。「3」をまた観たくなるのと共に、「3」はやはり名作だった事を思い出させてくれた。
 でも、この「2」って観るたびになんだか変に感じる。なぜ博物館がダメなのかがイマイチ理解出来ないんだよね。オモチャの本分はたしかに子供と一緒に遊ぶことだろうけど、それだけじゃないというか・・。実際、シドに不本意な手術をされちゃうオモチャも存在することを思うと、おもちゃの幸せにちがう形があってもいいと思うんだよね。

影響

犯人の逮捕を持って、バスケの漫画の例の事件が幕を閉じた。犯人が案外大したことなかったことも驚きだったけど、捕まった犯人が運ばれる映像にも十分驚かされた。一見、暴力的に見える人よりもああいうタイプの方が怖かったりする事は一つの真理である。微妙にへらへら笑っている姿に、気持ち悪さを感じたのは僕だけではないはず。
この事件の問題は、ただの一個人でも、社会にこれだけの影響与えることが出来る事がばれてしまったことである。特殊な技能や黒いバックボーンがなくても、あれだけ社会を騒がせることができるのだ。不特定多数をいつかどこかで狙う、といつ言葉には強い力があるんだよね。書店や出版社などはその声にひれ伏さず、それでも商品を並べて立ち向かうべきだったという人もいるけど、人の命の重さを背負える店舗なんてものは存在しない。犯罪者でもテロリストでなくても、社会にこのような影響が与えられる事実はなんだが受け入れがたい。

首チョンパ

今年見た映画の中で、ベスト10の中に入りそうなタイトルに
「セデック・バレ」
という台湾映画がある。1930年代の台湾にいた、セデック族と呼ばれる首刈り族の物語である。狩猟民族であるセデック族は山で獣を狩って生きていた。彼ら狩猟民族だから、時々山の縄張りを争って族同士で戦うことがあった。その戦いの中で、敵の首を取ってきたものが大人の男として扱われた。言うなれば、それが成人式なのだ。
 セデック族は日清戦争後に進駐してきた日本軍と戦い敗北し、監視下に置かれることになる。警察の指導で文明的な生活を強制されるんだけど、戦士である彼らはやがて反乱を起こし駐留していた日本人を皆殺しにする。そんな事をしたらあとから日本軍に全滅させられることは百も承知なんだけど、それでも名誉だけのために彼らは謀反を起こす。
 セデック族は首刈り族だから、とにかく敵の首を狩って、トロフィーをあげるかのように切ったばかりの首を誇らしげに掲げるシーンが多い。血がドバドバ出ているしショッキングな映像だから、最初は野蛮な感じがするんだけど、見ているうちに獣じみたただの暴力的な行為でないことに気づいていく。つまり、その時代のその世界には、その世界ならではの文化があり価値観があり、善と悪のラインがあるんだよね。その価値観を現代の僕らの物差しで計ることこそが間違いで、そこを間違えてはいけないなと、観ながら思ったのだ。
 と、北朝鮮の処刑のニュースを聞いて思い出した。北朝鮮って、今僕らが過ごしているのとは違う時間が流れているのだろうか。明らかに違う価値観で成り立っている国家であることは分かるんだけど、独裁国家であることを差し引いてもおかしいというか、なんて言うか、理解不能な怖さがある。ヘリを打ち落とす時に使う銃って、人間が被弾したら体が半分ぐらい削がれるぐらいの威力なんだよね・・。まだセレック族の首刈りの方が文明的に思える。

ルパン

ルパンvsコナンってやつが気になっている。昔からウルトラマン対仮面ライダーとか、アメコミではバットマンvsスーパーマンとかがあって、複数の世界観を合わせることってあったけど、ルパンの世界とコナンの世界は混ざるのだろうか、ということが気になる。
 僕の中でのルパンの世界は、ジャジーでハードボイルドな大人の世界。次元のくわえタバコ、ルパンのネクタイとネクタイピン、そして細身のスーツ。車や銃もそうだし、とっつあんのトレンチコートもそうだよね。どれもこれも格好イイ大人に似合うアイテムである。アイテム等もそうだけど、人には裏側があって裏切りもあり、多面体であることも描いている。笑いを含んだ場面の後に残酷な場面もあったりして、怖さみたいなものもちゃんと描いてくれている。そしてやっぱり不二子ちゃんだよね。思わせぶりな態度を取りながら引っ張れる所まで引っ張って、でも最後のラインは絶対に超えさせないその姿は、「女性って怖い」というありがちだけどとても大切な教訓とともに(笑)、不二子は案外孤独なんじゃないか?とも思えてくるんだよね。この不二子ちゃんの色気もそうだけど、人を人と思わずに自分の都合で操作し裏切る、その人でなしな感じがコナンの世界とどうマッチするのかが一番のポイントかな。
 でも、思えばコナンも大人なのに子供の姿でずっと人を騙しているんだよね・・。こっちはこっちでブラックなのかな。

パンツもやります

本日も練習。イッシーのチームに練習試合の相手をしていただいてからのダブルヘッダー。まあ、いつも通りだけど、この時期は披露より寒さの方が強敵である。寒さのピークはいつだろうか…、もうここら辺でいいんだけどね。

希望者がいるということなので、とりあえずデザインしました。

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上があれだから、なるべく簡素な感じを目指したけどこんなもんかなあ。希望者は代理人に連絡を。笑

CM

 面白いCMをここでも何度か紹介してきたけど、全てTVのCMで、ラジオのCMはスルーしてきた。ラジオを聴く人は限られているし、そのCM知っている!という声が少なそうだったからである。でも、偶然ラジオのこのCMを聴いて、どうしても紹介したくなった。

http://pocky.jp/cm/radio-cm/ TVのCMよりも時間が長くストーリーが作りやすいという事はあるんだろうけど、やはり映像がないことで想像力が広がるのがいい所だよね。声が変わっていく所でしかけにはすぐに気づくんだけど、ストーリーに持って行かれるというか、展開で泣かされてしまう。よく考えるとなんてことないベタばストーリーなんだけどねえ。良くできているCMだ。

10番

 香川がマンUに移籍したとき、7番が空いていた事から、7番をつけるんじゃないか?という話があった。マンUの7番といえば
カントナ→ベッカム→ロナウド
という、そうそうたるメンバーの背中を彩ってきた番号である。そのラインに香川が入るのはどうなんだ?と正直思ったのを覚えている・・。結局そうはならなかったが、代わりにあてがわれた番号がイマイチだったので、がっかりしたことも覚えている。
 あのホンダさんがミランで10番をつけるそうである。いくらつけたいと思っていて、なおかつそれに値する実力が備わっていたとしても、なかなかつけられないのが10番である。タイミング、周りの評価、プレイスタイルだって問題になるかも知れない。クラブ側から見れば期待される若者ならまだましも、良くわからない選手に10番を許可することも難しい。あのカカでさえも付けられなかったよね、たしか。そこにきて、本人の希望で10番をつけるなんて、ホンダさんは図太い神経とともに運があるとも言える。ミランの10番といえばボバン、ルイ・コスタだよね。ホンダさんがどんな10番を見せてくれるか、楽しみだ。

蓋を開けたら

 楽天でiphoneのバンパーを注文した。携帯を良く落とし、2年以上使えた事がない僕としては、プラスチックのケースではものたりず、強度に優れ携帯を保護してくるアルミのバンパーを愛用している。今のバンパーもかなり頑張ってくれて、戦いの後の傷がたくさんあるため、新しいのを注文したのだ。到着を楽しみに待つ僕。数日後、ピンポーンとベルがなり、商品を受け取りダンボールを開けてみたら、入っていたのはこれだった・・。

20131212-224504.jpgなにやらサイドと背面がデコられているケースである。こんなギャルっぽいの、いったい誰が買うというのだ。

 早速返品と交換の交渉に入る。が、メールをしても返事がない・・。しびれをきらし電話をしても不在・・。それでも諦めずに電話をかけ続けた所やっと繋がったが、相手が中国人で何を言っているのか半分しか理解できない状態・・。しかも、返送を確認してからじゃないと正しい商品を発送出来ないと言うのだ・・・。どうしても納得が行かず、片言ながら交渉。交渉は普通でも疲れるのに、意思が通じないから疲れるのなんの・・。結局なんとか返送を待たずに送ってもらえることになった。

それにしても中国人はたくましい。ちゃんとしゃべれないのに商売しちゃうんだもんなあ。

ゴジラ

 エメリッヒのゴジラ以来、ハリウッドでのゴジラ映画はもうないんじゃないか、と思っていたけどここに来て新しいゴジラ映画の予告編が公開された。なにやらオリジナルのゴジラに近い形、そしてケン・ワタナベが出演していることから案外観れるんじゃないか?と期待が高まる。映像も格好いいし、世界観も気になる。ゴジラを見せないでもなく、かといって見せすぎるでもなく、良くできた予告編である。

気になるのは、アメリカ人がゴジラという存在をどう捉えるか、だよね。英語表記ではGODZILLAで、わざわざ「GOD」を付けちゃっているんだよね。ゴジラはたしかに自然の脅威であり、その怒りの象徴でもある。オリジナルには環境破壊や核への恐怖が盛り込まれているし、象徴的な存在であることは間違いない。予告編の感じでは完全に死に神みたいな感じになっていて、期待大だな。

マンデラ

 マンデラが囚人だった頃の認識番号が46664である。上から読んでも下から読んでも同じだし、6が多いことから何となく記憶の片隅に残っている。マンデラが亡くなったニュースをきいたときに思い出したのはこの番号の事と、彼が檻の中で過ごした時間が27年間だったという事である。

 マンデラの追悼ニュースばかりだ。もはや歴史上の偉人だし、世界中のリーダー達が一度に集うなんて、今後は考えにくいだろう。追悼式の中でオバマとカストロ(弟の方)が握手をしたらしいし、死んでもマンデラの影響は凄い。功績を紹介するのも当然だし、世の中に残したものを紹介するのもわかるんだけど、僕がいつも知りたいと思うのは、なぜ27年間のムショ生活に耐えられたのか、って所なんだよね。そこを耐えられたから偉大なんだ、って言われればそれまでだけど、そう単純な問題じゃないはず。映画や本での知識ではマンデラの獄中の様子を知ることが出来るけど、歴史の偉人としてではなく、一人の人間の弱さや悩みにこそマンデラの偉大さがあるんじゃないか、と思うのだ。

アパルトヘイトを終わらせたとか、自分が大統領になり白人と黒人の立場が逆転した後も白人に対する差別を許さなかったとか、全く休まなかったとか、亡くなった今美談しか流れないだろうけど、なんだかそれだけでは勿体ない様な気がするんだよねー。