影響

犯人の逮捕を持って、バスケの漫画の例の事件が幕を閉じた。犯人が案外大したことなかったことも驚きだったけど、捕まった犯人が運ばれる映像にも十分驚かされた。一見、暴力的に見える人よりもああいうタイプの方が怖かったりする事は一つの真理である。微妙にへらへら笑っている姿に、気持ち悪さを感じたのは僕だけではないはず。
この事件の問題は、ただの一個人でも、社会にこれだけの影響与えることが出来る事がばれてしまったことである。特殊な技能や黒いバックボーンがなくても、あれだけ社会を騒がせることができるのだ。不特定多数をいつかどこかで狙う、といつ言葉には強い力があるんだよね。書店や出版社などはその声にひれ伏さず、それでも商品を並べて立ち向かうべきだったという人もいるけど、人の命の重さを背負える店舗なんてものは存在しない。犯罪者でもテロリストでなくても、社会にこのような影響が与えられる事実はなんだが受け入れがたい。

首チョンパ

今年見た映画の中で、ベスト10の中に入りそうなタイトルに
「セデック・バレ」
という台湾映画がある。1930年代の台湾にいた、セデック族と呼ばれる首刈り族の物語である。狩猟民族であるセデック族は山で獣を狩って生きていた。彼ら狩猟民族だから、時々山の縄張りを争って族同士で戦うことがあった。その戦いの中で、敵の首を取ってきたものが大人の男として扱われた。言うなれば、それが成人式なのだ。
 セデック族は日清戦争後に進駐してきた日本軍と戦い敗北し、監視下に置かれることになる。警察の指導で文明的な生活を強制されるんだけど、戦士である彼らはやがて反乱を起こし駐留していた日本人を皆殺しにする。そんな事をしたらあとから日本軍に全滅させられることは百も承知なんだけど、それでも名誉だけのために彼らは謀反を起こす。
 セデック族は首刈り族だから、とにかく敵の首を狩って、トロフィーをあげるかのように切ったばかりの首を誇らしげに掲げるシーンが多い。血がドバドバ出ているしショッキングな映像だから、最初は野蛮な感じがするんだけど、見ているうちに獣じみたただの暴力的な行為でないことに気づいていく。つまり、その時代のその世界には、その世界ならではの文化があり価値観があり、善と悪のラインがあるんだよね。その価値観を現代の僕らの物差しで計ることこそが間違いで、そこを間違えてはいけないなと、観ながら思ったのだ。
 と、北朝鮮の処刑のニュースを聞いて思い出した。北朝鮮って、今僕らが過ごしているのとは違う時間が流れているのだろうか。明らかに違う価値観で成り立っている国家であることは分かるんだけど、独裁国家であることを差し引いてもおかしいというか、なんて言うか、理解不能な怖さがある。ヘリを打ち落とす時に使う銃って、人間が被弾したら体が半分ぐらい削がれるぐらいの威力なんだよね・・。まだセレック族の首刈りの方が文明的に思える。