浅草

この休みに浅草に初上陸を果たした。驚くほどの人、それも外国人が本当に多くて、期待していた通りの町の姿であった。言わばこれが表の姿で、花屋敷のもっとの奥のほうまで行くとちょっと香ばしいというか、きな臭い町並みもちゃんとあって、非常に楽しかった。看板に「最近多くなっています、気をつけてください。暴力、スリ、娼婦」とあって、笑ってしまった。明るく健全で観光地の奥には必ずちょっと危なそうな色町があるのはお約束。コントラストがあるようで実はない。セットなんだよね、きっと。
12kai_1024768あまり知られていないけど、浅草には凌雲閣と言う、12階建ての塔がかって存在した。日本初の電動式エレベーターが設置されたが関東大震災で崩れ、解体された。当時は12階に展望台があり、中はショッピングセンターになっていたので、言えばスカイツリーや東京タワーみたいなものだったのかな。周りに高層ビルなんてないから、イキナリ大きなものがニョキッと生えていて、下から眺めるのも上に上がって遠くの景色を眺めるのも別格な体験だったにちがいない。
現在では跡形もなく、跡地はパチンコ屋になっていてその前にちょっとしたプレートがあるだけである。当時の凌雲閣のふもとは売春宿や見世物小屋や、怪しげな店ばかり。魔窟のようなところだったのだろう。痕跡がないことはわかっていたけど、それでもその町並みの雰囲気を味わえたかな。当時の浅草の夜を想像しながら歩くのは楽しかった。こういう、歴史に埋もれていったところを訪ねるのって案外面白いかもしれない。

ジュラシック・ワールド

興行収入の記録を破った「ジュラシック・ワールド」を鑑賞。思ったよりもパニックスプラッター映画になっていて、非常に満足である。子供も見る映画で、これほどの人数を殺したのは初めてじゃないか?もはや、リアルという言葉すらも浮かんでこない恐竜の映像。その姿に、いつかああいうパークは本当にできるんじゃないか?という気すらしてくるぐらいのCGである。本当、リアリティって作れるのね。

IMG_8064.JPG で、その映画館の横がゲーセンなんだけど、これがあったんだよね。開演まで時間がなかったから、終わってからやろうと思っていたら列が出来ていた。それも子供ばかりだったから、恥ずかしくて出来なかった・・。ちょっとやってみたい。

一生

北海道のおみやげでクッキーをもらったんだけど、その包み紙に子供たちが書いた歌がプリントされていて、これが最高に面白い。なかでも、これが一番よかった。
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望んだわけでもなかった兄としての立場の悲哀というか、どうしようもなさが伝わってくる・・・。特に最後の「一生 兄」、「人生 兄」というフレーズには諦めに似た達観感まであって、親となった今、僕も非常に良く分かる。もう、降りられない電車に乗ったんだと悟ったときのあの感覚、だよね。すごい感受性を持ったガキだなあ。笑

STUDIO 95

kv0731-2-500x708今、原宿の「フライデーズ」の向かい当たりで、「NIKE AIR MAX 95 20周年記念!期間限定エキシビションスペース」というのをやっている。airmax95の20周年を記念しての展示で、歴代のエアマックス95やデザイン画などが展示されているとのこと。少し気になっていたので、寄ってみました。

95は人体をモチーフにして作られたことは有名な話だけど、それを象徴するかのように95がホルマリン漬けにされていたり、展示物がビーカーに入っていたりする。それも面白いんだけど、メインはなんといっても歴代のairmax95の展示かな。 懐かしいのも、見たことがないのもあって楽しかった。決して広いわけではないが、それなりに楽しめる展示になっている。期間限定でたしか16日までだから、気になる人はお早めに。
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ここまできたか。

 最近、汗が出過ぎて靴の中に溜まるという症状に困っている。まるで水溜りに足を突っ込んだ状態、靴の中がジュクジュクになってしまうのである。シャツが汗だくになり、ハーフパンツが汗だくになり、ソックスが汗だくになって、最後にシューズが汗だくになるという順番なんだけど、おそらく汗が重力でどんどん下に下っていき、溜まると思うんだよね。それもタイミングがほぼ同じで、二時間の最後の10分ぐらいから靴の中に溜まりだし、靴の中ですべるという危ない状態になっていくのである。長いソックスにしたり、ショートソックスにしたりと色々変えて見たが結果が変わらず。後はタイツを履く選択肢があるんだけど、さらに熱くなって余計汗が出る可能性もある。これ、靴の中で滑るという問題以外に、靴の革が硬くなってしまう、という問題もあるんだよね・・。練習の途中で履き替えるとか、しないといけないのかなあ。とりあえずはリセッシュを常備だな。

ベビーベッド

 昨日、イソッチから頂いたベビーベッドを、子供が生まれる予定の妻の友達に譲った。遠方から取りに来てもらったのだが、同じくイソッチ宅までとりに行ったこと何年か前のことを思い出した。あのベッドは杏ちゃんと凛ちゃんが使い、それを我が先生が継ぎ、今度また新しい子が使うことになる。引き継ぐことが出来て、とても嬉しく思っている。
 前にも書いたけど、僕にとって杏ちゃんの誕生は、考え方を変えさせられた程の特別な出来事だった。世の中の見方というか、あり方について考えるきっかけになったんだよね。僕ら全員は社会の一員であり、どんなに関係なくても僕らの行動は子供たちが生きる未来の社会に影響を及ぼすことを理解したのである。誰も無関係ではない。それゆえに、誰もが未来の世界を背負っているんだよね。だからといって、議会に立候補して社会を変える必要があるとかではなく、人として大人として、やさしさを持って社会を守らないといけないんだなあ、と痛感したんだよね。恥ずかしいけど・・。
 他にももう使わないだろうと思われるものをたくさんもらってもらい、家の中がスッキリした。お下がりの習慣ってどの文化にもあるかはわからないけど、いい習慣だよね。

平和の正体

「核兵器のない世界」という目標を掲げただけで、ノーベル平和賞をもらっちゃったオバマは今どう評価されているのだろう。不勉強でよく知らないけど、「核兵器のない世界」は無理でも「核兵器の少ない世界」には近いづいているのかな。
 昨日の話じゃないけど、スミソニアンに行ったとき、ドローンを見たことがある。ヘリコプターの形をしたものではなく、ミサイルのような形をした無人飛行機のことである。その時は偵察機に使われる、的な説明が書いてあったけど今では武器を搭載し人を殺しまくっているらしい。テロリストを狙っても小さくないコラテラルダメージが出るようで、罪もない人々が殺されているようだ。平和賞をもらているのに、裏では人に気づかれずに暗殺を繰り返しているだけにイメージがとても悪い。というか、平和賞をもらっちゃったから戦闘行為は行えず、暗殺という手法をとっているのかなあ。
 誰かを守るためには、どこかで戦わなければならない場面がある。命が大事なのは皆同じ、戦争が嫌なのは皆同じ。ある意味ではドローンも平和を作っていることになる。立場変われば、オバマの平和賞にも意味があるのかも知れない。もしかしたら、争いがないと平和は存在できないものなのかも知れない。矛盾しているけど、影がないと光もないのと同じで・・・。と、考えていくと何がなにやら分からなくなってくる。平和の正体は本当に難しい、理解の何かを諦めそうになるのだが、これを突き止め正解を出した人はいるだろうか・・。

忘れないために

 ワシントンに行ったときに、見ようと思っていたけど結局叶わなかったのが、エノラ・ゲイを見ることだった。スミソニアンからちょっと離れたところにあるので、ついに見れなかったんだよね。エノラ・ゲイを見たときの自分のリアクションがどんなものなんだろう、とちょっと楽しみだったのだが、分からずじまいで帰ってきてしまった。ひょっとしたら心の中で特別な感情が生まれるんじゃないか、と思ったんだけどね。それでも、戦争に関する展示物はふんだんにあり、アメリカ側から見た戦争のなんたるかをちょっとは感じることが出来た。
 広島を訪れた時には原爆資料館を見学した。リトル・ボーイの展示や有名な黒い雨など、あの日に起きたことの一部を知ることが出来た。フランスに行ったときも戦争博物館を見学した。
 毎年この日になると、これらの展示のことを思い出し、その時撮った古い写真を眺めてしまう。その度に思うのは、戦争の悲惨さを感じるのは難しいな、ということである。いや、ちょっと違うかな。「戦争の悲惨さを通して平和の大事さを伝えること」の難しさ、と言った方がいいのかも知れない。それってあってるのか?と思ってしまうのである。戦争の悲惨さを知らない現代ではそれを感じることは難しく、同時に平和の大事さも感じることが出来ない、って事になってしまうんだよね。この時期になると「平和への誓い」とか「平和への祈り」という言葉が飛びかうけど、言葉が多くなればなるほど空虚な何かが広がる気がして、なんだか複雑である。平和とはなんなのか・・、平和を知るとは何なのか、平和を守るとは何なのか。難しい。

職質

 「警察24時」的な番組って、いつもやっているよね。これだけやっているって事は、好きな人がたくさんいて結構観られているって事なのだろう。あれを観ていると、安全と言われている日本でも色んな事件が起きていて、警察は大変だなあ、と思うのである。
 そういえば、少し前に職質を受けた。特に問題はなく、雑談程度で終わったので嫌なイメージは特にないんだけど、人によってはそうでもないらしい。その次の日ぐらいかな、街の中で警察がやっぱり職質を行っていた。ちょうどその時、電動車椅子が車道を走っているのが見えた。端を走ればいいんだけど、フラフラと車道の真ん中を走っていたんだよね。そのため、その車椅子を先頭に長い渋滞列が起きていた。それに気づいた警官は職質をきりあげ、その車椅子のもとに急いだ。危険な状態でもあったし、乗っているおばさんに一言二言をかけてから車椅子を端に寄せようとしたところ、なんとそのオバサンが手に持っているバッグで警察官の顔を叩いたのである。それもかなり本気でね。どんな会話が交わされたかは不明だが、警官の対応には特に問題がないように見えたので、おばさんが警官を殴るなんて予想もつかずかなりショッキングな映像であった。やべ、警官どうするんだろと思ったら特に怒ることもなく、逆に低姿勢で車椅子に乗ったおばさんを誘導していた。その後、一言二言しゃべっているのが見えたけど、僕の信号待ちは終わりそこを離れたため事の顛末は見れなかった・・。警官も殴られるなんて、思いもしなかっただろうなあ。警察は大変だ。

億劫

 祭りや花火大会の時期である。ああいうイベントに対して魅力を感じなくなったのはいつからだろう。子供の頃は祭や花火大会に対するワクワク感みたいなものはあったはずである。準備が進み、少しずつ「祭り仕様」になっていく町並みを見ながらテンションが上がっていく頃もあったはずなのだが、最近では全くである。人がたくさんいるし暑いしで、行かない理由を先に見てしまう思考回路になっている。なんとなく非日常で、浮かれたあの感じは決して嫌いではないが、「億劫」になっているんだよね・・。これって老化の一種なのかな。
 おそらくだけど、自分の中では取捨選択が始まっていて、本当に好きなもの意外はいらない、という考え方になってきているのだと思う。どうでもいいことに対して裂く時間、金、パワーがもったいないのだ、多分。自分が本当にしたいことに対しのみに気持ちがいくんだよね。それは趣味とか好みとか、ほかの事でそうなってきているから困るんだよね・・。自分の好みや傾倒を確立下とも言えるが、冒険を恐れている老人のようで、良いのか悪いか微妙なところだ。