練習

今日も練習。FBC参加の選手も多く、にぎやかな練習になった。が、延長の3時間目を楽しそうに蹴るみんなを尻目に僕は帰宅。後ろ髪を引かれる思いではあったが、体の事を一番に考え節度ある判断を下さねば、と自分に言い聞かせる。僕もこういった判断が出来るようになったものだ笑。

容態

インフルの可能性もあったので、朝から病院に直行。開く10分前にいったのに、待合室はすでに戦争状態。たっぷりと一時間待たされ後、鼻の穴に細い棒を入れられテストをされる。結果はセーフ。ほっと一安心。朝にはまだ熱があったものの、昼ごろには平熱に戻っていた。インフルでないことを確認できたことは無関係ではないだろう。というわけで、夕方からの市リーグに参加。前回の試合と同様、いいのか悪いのかわからない内容ながら、これまたなぜかまた勝利。ギリギリではあったが、これはこれでいいか。とにかく、乗り越えられて良かったー。

音楽の力は偉大

どのぐらいぶりだろう、風邪を頂きました。一年ぶりぐらいかなあ。あまりにも久しぶりだから、一度しか熱が上がってないのにもうフラフラ。
そんなんこんなんでボーッとテレビを見ていたら、テラスハウスという昔流行ったような番組をやっていた。なんだか別れのシーンだったんだけど、いい曲がかかっていたものだからウルウル来てしまった。全然見てないから事のいきさつなんてわからないのに笑。音楽の力はすごいなあ。抗えないという所ではもはや暴力に近いものがあるなあ。

カステラサイダー

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合資会社田浦物産
長崎かすていらサイダー
95ml×2本

スーザンより頂きましたお土産もの。まったくのナイスチョイス。

容器デザイン ★★★★★シュワー
ビンを箱に入れているんだけど、その箱のふた部分が濃い茶色になっていて、カステラを表現している。ビンの大きさもちょうどいいし、デザインもシンプルですごくいい感じ。しかもフタが栓になっているので、栓抜きを使わないと空けられないのだ。これもいいこだわりですねー。商品としての完成度、デザインはぴか一。

味 ★シュワー
これは厳しいでしょ。そもそも、なぜカステラを飲料にしようと思ったのか?問題がある。ただの面白ドリンクを作ろうと思ったら、容器とかそんなに凝らないでしょ。そして、カステラだったら乳製品にすると思うんだけど、
「サイダー」
なんだよね。炭酸がなければちょっと面白ドリンクとして飲めると思うけど・・。サイダーなのに爽やかさゼロだからある意味ではすごい。

変わり種度数 ★★★★★シュワー
これは唯一無二でしょう。どんなに遊び心のある人でも「ショートケーキサイダー」とか「いちご大福」サイダーは作らないよね。そういう意味でも面白い存在である。こういうのを待っていた!って感じだ。全然美味しくないけど、まさコーラ部でこんなのやりたかった!というドリンクである笑。

コーラ部アーカイブ

 

再放送ばんざい

20111016_t_005 見逃していた「ダイオウイカ」の番組が再放送されるみたいで、さすがNHK!と感動。ちょっと話題になったダイオウイカの番組である。
海底には誰も見たことのない、どこが頭でどこが体なのか見分けがつかない様な生物がわんさかいる、というのは子供にとってのロマンの一つである。海底、と聞いただけでワクワクしてくるあの感覚は誰の中にもあることだろう。その中の一つがこの番組でフューチャーされた巨大イカの事である。
デカいイカが船を襲っているこの画を見た人は多いと思う。伝説の海の魔物クラーケンである。イカというか、タコじゃないか?と思わないこともないけど、こういった大きな生物が船を襲い、沈めていたとされる伝説の怪物なのである。まあ、言ってみれば狼男とか幽霊とか、UMAや超常現象のたぐいではあるんだけど、クラーケンにちょっと信憑性があるのは「巨大なイカ、ダイオウイカは存在する」という事実なんだよね。まあ、どんなにデカいイカでも船を襲いはしないし、襲ったとしても沈めることは出来ないことは分かるんだけど、見たことはなくて
「クジラの体にイカと戦った跡があり、残された吸盤の大きさからして巨大なイカだったと思われる・・・」
みたいな話を聞くと、なんとも想像力が膨らむものである。再放送はバッチリ録画済み、楽しみだ。

スッテンコロリン

出勤途中で、マジこけを目撃。そこの道路はまだ雪かきをされておらず、不規則にでこぼこした氷の固まりがたくさんという状態。僕は駅に向かっていたのだが、反対方向からの歩行者で道はでかなり込んでいた。そんな中、僕の5mぐらい斜め前の女性がスッテンコロリン。まるで漫画に書かれている様な、両足そろって滑ってそのままお尻から着地するという離れ業。助けるには遠すぎるし、視界にバッチリ入るほどの近さ。彼女の後ろを歩く人々もどうしていいか分からず立ち止まっていた。止まる空気、全ての視線が彼女に集まっていた・・・。が、転んだ彼女はまるでバネが付いていたかの様な速度で立ち上がった。1バウンド目で立ち上がる、というイメージでかな。そのため、止まった時間はすぐに動き出したのだが・・、間違いないく一瞬流れた空気は
「・・・」
という、見て見ぬふりも出来ない非常に困った、気まずいものであった。その時みんなの脳裏に浮かんだのは
「私じゃなくて良かった~」
ってことと
「気をつけよ」
という事だったに違いない。
 その後、彼女の素早い行動により全てが「まるで何もなかったかのように」回り出し、いつも同じ空気が流れ出した。
ニュースでもやっていたけど、千葉県では雪による怪我人が100人以上いるんだよね。今日は何度も救急車を見たし、転んんだだけで済んでいるのはいい方か。

それにしても良く降るよね。予報では夕方からという事になっていたので朝のうちに車で出かけたんだけど、見る見る積もってきたものだからそそくさと用事を済ませ帰宅。普段とは違う景色はいいけど、後に待つ面倒を思うと複雑である。
 今日、成人式を迎えられた皆様のことを思うと大変だとは思うけど、逆にいい思い出になるんじゃないかと思わないこともにない。事故やけが人も出ているから明るく扱えることでもないけど、ニュースの中にやはり
「ちょっとしたわくわく感」
がにじみ出ていることは疑いようがない。注意を喚起したり、全国の状況を伝えながらも、わざわざ外に出て雪の状況や風の強さを伝える映像にはちょっとした明るさがあるんだよね、やっぱり。暗い感じで報道されるぐらいなら、それはそれでいいのかな。

練習

今日も練習前に整体で診て貰う。膝はほぼ問題ないのだが遅刻結合炎の方は良くなったり悪くなったりで、一進一退を繰り返している。とは言え、出来る限りの対策をしているという事実はモチベーションにいい影響を与えてくれる。
 整体というと気持ちいいマッサージを連想される人が多いと思うけど、僕が受けている治療は骨の位置をあるべき場所に戻すという内容である。そのために、先生が指や肘を使って僕の体をグリグリとするのだ。これはもう、あまりに痛さに汗が噴出すという感覚である。痛かったら言ってくださいね、ともちろん言ってくれるのだがこっちは
「少しでも良くなるのなら何をされてもかまわない」
というスタンスなので、我慢するのみ。まあ、プレイできない痛さと比べたらなんでもないからね。あー、丈夫な肉体が欲しいぜ。

豊かさ2

昨日の豊かさについてだが、「食べ物」となると僕は途端に興味を失う。そこそこの金額を出してイイものを食べようという発想がないのである。そもそも食べ物における良い悪いを判断できないという問題があるのだ。とはいえもう大人だし、少ないとはいえ、あちこちでイイとされるものを頂いてきた。たしかに美味しいしまた食べたいと思うものが多いんだけど、それと同時に
「これだけ高いんだから上手くて当然」
と毎回思うのである。そして次に思うのが
「サイゼリアとか冷凍食品はすごいな」
って事だよね。高くて上手いのは当然、。でも、サイゼや冷凍食品は安いのにあれだけ美味しいのだ。高い料金をとれる料理を作れるのもすごい事なのだが、あの値段であれだけ美味しいものを提供できるのも素晴らしいことじゃないか、と思うのだ。まあ、ああいう高級なレストランの場合はサービスや雰囲気や、オシャレな空気みたいなものがセットになっているから比べる事自体が間違いなのかも知れないけど。
 それにしても、冷凍食品のあの完成度はもはや反則だよね。冷凍文化がこれ以上伸びれば料理というのは生活のものではなく、好きな人だけが楽しみでやる「趣味」みたいなものになる可能性があるんじゃないか?

ものの価値と豊かさ

 @15から紅茶を頂いた。これが凄くいい香りで毎晩飲んている。容器からして高級感があって、その味や香りを感じる度に無粋ではあるが
「これは中々の値段するんじゃないのか?」
と考えたりする。特に香りには何かをリセットしてくれる感じがあって、一日の終わりにピッタリとマッチする。
ものの価値がどんどん下がり、僕が若かった頃よりものを安く買うことができる世の中である。特にファッション関係では顕著で、ユニクロとSOPHの区別がつかない時あるもんね。いい事だと思うけど、ある種の寂しさを感じない事もない。
これって多分、自分がどこで豊かさを感じるのか、って問題だと思うんだよね。一日の終わりに仲間がくれたいい紅茶を飲む事に僕はその豊かさを感じるのである。そこにはその紅茶の価格は関係ないんだけど、間違いなくイイものであるというその事実が特別にしてくれるんだよね。
僕はブランドや高級品をあんまり信望してはないが、自分が好きで信じるものには、自分が価値を認めたものにはあんまりビビらずに財布を開けられる人間でありたい。高級なもので身の回りを固めるより、納得して買ったものを100%楽しめることこそが「豊かさ」なんじゃないか、と思ったりする。どれだけ持っているかじゃなくて、持っているものをどれだけ愛せるか、そしてその価値を認められるか。かな。