違う場合は何なのかが問題

 そういえば、年末の楽しみの一つに、たけしの超常現象を笑う名物番組があって、なんだかんだで毎回ちょっと見たくなる。今年は有名な超常現象動画を並べただけの残念な感じだったけど、その力の抜け具合がながら見にピッタリであった。肝心の超常現象信仰者と反対者の罵り合いは見逃したけど、今年もちゃんとやってくれたのかな。今年もお約束どおりに誰か怒って帰ったのだろうか。
 こういう系統の番組でよく見るUFO映像やUMA映像。普通はそれが真実なのか、作りものなのか、その正体を見極めるのが正しい楽しみ方である。でも、CGでなんでも出来る今の時代だから、映像で誰かに何かを信じ込ませようとすることは中々難しいんだよね。必然的にお笑いの方に行ってしまうの当たりで、ちょっと寂しかったりする。
 こういう番組でUFOの映像が流れるときに反対派の人は、それが絶対にUFOではない根拠を語る。それが役割だから、当たり前である。でも、その時によく思うのは
「あれがUFOではなく、さらに誰かが作った映像ではなかったら、いったい何なんだろう」
ってことである。偽の映像でもなく、かといってUFOでもなければ、いったい何なんだ?。得体の知れない、人間には理解のできないものであった方がUFOであるより100倍も怖い、と思うんだよね。UFOであってくれた方が(UFOの何を知っているわけでもないけど)安心できそうなんだよね笑。変な話だけど。